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◆李平(すももだいら)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「福嶋」(明治44.11)を使用したものである

所在:福島市李平(すももだいら)
地形図:板谷/福島
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:多くが火災
標高:約570m
訪問:―

 

 大字李平の北東部、松(まつ)川(阿武隈(あぶくま)川支流)右岸側の山中にある。

 市史によると、当地は米沢街道の往還路にあり宿場町として栄えていたとのこと。
 明治32年に国鉄奥羽線が福島‐米沢間に開通すると(全線開通は明治38年)、街道の交通量が減少。炭焼き・養蚕・畑作に転向した。馬鈴薯・大豆・そばなどがよくできたという。松川に臨む北斜面に山桑畑があった。
 
明治35年7月、大火により18戸のうち13戸が焼失。大正7年頃には1、2戸となり、ほどなく平地に降りてしまったという。
 
明治6年19戸79人、同9年17戸89人(以上「信達二郡村誌」)、同19年21戸96人(「福島県市町村沿革」)。

 また『福島市史資料叢書』より「信達二郡村誌」(明治10年代刊)によると、李平村について「本村ノ地ハ深山窮谷ニシテ古来村落民居無リシカ 慶長十八癸丑年上杉氏ノ臣阿部薩摩(本村阿部家ノ祖)ナル者 草莱ヲ闢キ道路ヲ通シ家屋ヲ構ヘ人民ヲ移殖シ始メテ一村落ヲ成ス 当時此地平坡ニシテ李樹多キヲ以テ李平ト名ツク」とある。
 
もと52戸あったが、天明3(1783)年の飢饉で29戸となった。街道を通る物品の逓送が主な生業で、男は担いで、女は牛を牽き運搬していた。また副業として、製炭や杓子・履物の材の製造をしていたよう。
 
神社は大山神社。祭神は大山祇命・倉稲魂命。勧請年月不詳。明治5年村社に列せられた。
 寺院は泉安寺があったが、天保年間(1831-45)に無住となり、明治4年廃寺となった。米沢の林泉寺(曹洞宗
)の末寺で、渓和和尚と阿部薩摩により開基。創立年代不詳。

 「角川」によると、大字李平は近世の信夫郡李平村。明治22年庭坂村の大字となる(のち大庭村→吾妻村→吾妻町→福島市)。

 

 

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