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◆深沢野(ふかさわの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「月山」(昭和22.1)を使用したものである

所在:大蔵村南山(みなみやま)
地形図:肘折/月山
形態:緩い傾斜地に家屋が集まる
標高:約430m
訪問:2018年11

 

 大字南山の北部、銅山川(=烏(からす)川。最上(もがみ)川支流)の左岸側にある。
 村史によると、当地は戦後の緊急開拓事業として開拓された集落。村内には「肘折(ひじおり)開拓」「清水(しみず)開拓」「烏川(からすがわ)開拓」が選定されたが、「肘折開拓」のうち「上の開拓」と呼ばれた地域が深沢野であった(鍵金野(かんかねの)が「下の開拓」に当たる)。
 以下は鍵金野も含めた記述。
 昭和21年以降年々入植者があったが、そのほとんどは冬期に出稼ぎに行ったまま帰らない等の形で離農していった。肘折地区よりもさらに雪深い厳しい自然環境で、清水・烏川両開拓よりも開拓条件は厳しかった。
昭和47年現在深沢野の営農者は7戸(鍵金野は4戸)で、いずれも昭和24年以降の入植者。昭和42年頃より開田事業が本格的に開始。ある程度の成果を挙げ、入植者の子世代も労働力となり始めたこともあり安定も見えてきたが、減反政策が行われ、入植以来の開拓借入資金を抱えていたこともあり、営農の転換を迫られる状況となった。
 当地にあった赤松小学校深沢野冬季分校は、昭和27年に開校(※)

 現在の地形図上の地名表記は県道の東側の平坦地にあるが、集落は県道より西側で、深沢(=河川の名)の支流を越えた先にある。往時は東西に走る道に沿って家々が並んでいたが、現在は学校を含む建物もすべて撤去され往時の痕跡はほとんどない。畑が広く耕作されており、時折の往来はあるよう。

※ 昭和49年閉校(HEYANEKO氏調べ)

 


写真1 県道沿いの区劃。右の未鋪装の道は集落に通じる

写真2 集落への道

写真3 集落到達地点

写真4 建物の残骸

写真5 宅地跡の風景

写真6 遺構

写真7 開けた場所(屋敷跡?)

写真8 建物跡

写真9 住宅地前の道。左側に人家が並んでいた。右は農地

写真10 畑

写真11 同

 

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