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◆嬉ヶ沢(うるしがさわ)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「玉庭」(昭和22.3)を使用したものである

在:飯豊町手ノ子(てのこ)
地形図:手ノ子/手ノ子
形態:谷沿いに家屋が少数集まる
標高:約300m
訪問:(2017年11
月)

 

 大字手ノ子の南部、嬉ヶ沢(最上(もがみ)川二次支流)の上流部にある。
 まず小沼沢方面より谷沿いの道をたどった。かつては四輪車が通行可能であったことが窺えるが、全体的に道が荒れており進入は困難。3分の2ほどの所で道が流されていたことと、日没が迫っていたことで訪問を断念。翌日改めて落合方面より訪問したが、道を失い到達は叶わず。なお落合付近の国道の橋が「嬉ヶ沢橋」でありこちらの谷も「嬉ヶ沢」であることが分かるが、読みは「うれしがさわ」。
 資料『ダムに沈んだ村の伝承』には、次のような言い伝えが記されている。

 八幡太郎義家(源義家)が合戦の後にこの地に逃げ込み、ヌルデの古木の洞に隠れた。安倍貞任の軍勢がこの沢を隈なく探し、この木の洞を探そうとしたところ、中から鳩が三羽飛び立った。「鳩のいる所に人はいない」と立ち去り、危うく難を逃れ「やれうれしや」と仰せられたことから、この沢を「うれしが沢」と呼ぶようになった。

 なお「小沼沢の西、漆ヶ沢(※)に二軒の民家がある」との前置きがあり、少なくとも近代においては2戸が暮らしていたことが分かる。
 また町史には、県と町から補助金を受け町内に移転したことが記されている(移転は昭和48年以降。ここでの表記は「嬉ヵ沢」)。

※ 表記ママ、「漆」に「うるし」のルビ

 


(写真1 小沼沢方面からの道)

(写真2 落合方面からの道)

 

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