◆小坂(こさか)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「玉庭」(昭和22.3)を使用したものである
所在:飯豊町小坂
地形図:玉庭/玉庭
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設 標高:約320m(水面は約320m)
訪問:2017年11月
大字小坂の東部、白(しら)川(最上(もがみ)川支流)沿いにある。現在は白川ダムの人造湖(白川湖)に多くが水没。
集落は県道4号の中津川橋より上流に当たる。橋から西の左岸に等高線が広くなった部分があるが、この辺りが水没を免れた集落の一部。ただし踏査はせず、遠景を望んだのみ。
橋の南詰付近の広場には記念碑(写真4)があり、離村した28世帯の住民の名が刻まれている。内訳は男鹿8・二野瓶6・井上3・大関2・青木・淺野・石原・伊藤・貝沼・加藤・藤本・吉村・綿貫各1。町史によると、転出先は南陽市9・米沢市6・長井市3・山形市3、ほか飯豊町・上山市・川西町・高畠町・仙台市・埼玉県。以下は碑文。
白川ダム建設に依り小坂部落全戸移轉したので之を永久に記念を止めんとして全戸二十八戸にて建之也
昭和五十乙卯年九月吉日 部落中
なお町史によると、当地にあった中津川小学小坂冬季分校は、昭和15年中津川小学校小坂冬季分教場として開設。昭和39年須郷小学校の分校となる(中津川小学校須郷分校の独立と同時)。昭和47年閉校。また中津川中学校小坂冬季分校は、昭和22年開校、昭和36年閉校。
「角川」によると、大字小坂は近世の置賜郡小坂村。明治22年中津川村(のち飯豊町)の大字となる。慶長頃14戸51人、文化10年21戸123人、天明6年23戸132人、文化2年22戸129人、明治11年22戸122人、同21年20戸121人、大正14年23戸163人。寺院に浄土真宗の照源寺があった。
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