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◆八久和(やくわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大鳥池」(昭和21.11)を使用したものである

在:鶴岡市(国有林)
地形図:大鳥/大鳥池
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約430m(水面は約420m)
訪問:2017年11

 

 旧村域の中部、八久和川(赤(あか)川二次支流)左岸側にある。八久和ダムの建設に伴い離村した。
 町史によると、離村時で15戸。布引沢を境に、上村・下村分かれている。近辺に集団移転に適する土地が得られなかったため、各戸が分散する移転となった。集落の鎮守は高安神社。またダム建設の経緯は以下のとおり。

 昭和26  東北電力株式会社、八久和ダム建設計画を発表。6月より現地調査を実施
 昭和27.10.10  八久和集落の移転に関する補償交渉(1回目)
 昭和28  八久和集落との補償交渉(2回目)(2.15)
 八久和ダム建設に伴う水利問題に関する覚書調印。東北電力鶴岡営業所にて(3.26)
 八久和集落との補償交渉(3回目)。八久和集落側がダム建設に合意(8.21)
 八久和ダム建設に伴う補償に関する覚書調印(9.19)
 ダム工事(1期)着工(9月)
 昭和29.3.25  八久和集落解散式
 昭和30.8.22  八久和集落離村式
 昭和31.1  1期工事竣工。仮堤体・発電所・変電所・取水塔等が完成
 昭和31.5  2期工事着工。ダム本体工事開始
 昭和32.7  湛水開始
 昭和32  八久和発電所完成

 昭和33.3

 2期工事竣工。堤体完成


 訪問は荒沢ダム付近より八久和峠を経由し八久和川に降りるルートより。花戸林道・鱒淵林道を利用。なお下流の月山(がっさん)ダム方面からも車道が通じているが、現在は徒歩でも通行が困難な状況。
 標高からすると完全な水没は免れているが、訪問時は特に水量が多く大半が水没。日没のため道路周辺のみの探索となったが、八久和分校跡の看板(写真2)と神社が見られた。
 以下は神社境内に建てられた記念碑の全文(漢字字体の新旧混淆は、本文ママ)。


當地は東田川郡大泉村大字上田沢字八久和と称し、戸数十五、人口九十七、住民は藤原氏の末裔であるとも云われ、六百年前に定住したものと推定される。耕地は水田十三町歩、畑五町歩を有し、産物は山菜・茸・栗・狩猟・養蚕・木炭、特に八尺木と称する薪用材は、定住以来傳統的に鶴岡まで流送し、領主とも関連深く、市中に賣捌く等、四季を通じて收入が絶えなかつた。早くより鶴岡と交易のため、文化も導入され山間僻地としては進歩
的平和郷であつた。然るに昭和の初期より電源の好適地と目され、数回測量されたが何れも當地を水沒させる計画ではなかつた。第二次世界大戰后電力界は大貯水池式を採用、東北電力株式会社は、昭和二十七年五月十日ダム構築により八久和部落が水沒する事を発表した。この通知に部落民は、全く暗雲に包まれた心持で、なす所を知らず徒に東奔西走の有様であつた。本交渉に入る〓(※1)に、二回の折衝が當地及び落合に於いて行われたが、喧々囂々機未だ熟せず、何れも纏る所なく決裂した。この間部落民は、愼重に事を進め、福島県只見川大電源地帶その他の実〓(※2)視察を行い、ダム構築は下流荘内平野(表記ママ)の美田、一万数千町歩の旱水害を救うと同時に、発電によつて社会福祉に貢献することを思い、大乘的見地より部落移転の決意を固め、交渉方針の準備を進めた。本交渉は、第三者の介入をさけ、会社側は総務部長を主班とし、大泉村長・同議会議長を立会人として、昭和廿八年八月廿一日より當地で開催された。部落側は當初集團移転を希望したが適地なく、遂に自由移転・金銭補償を承諾、補償物件は一件毎に折衝、移転期日は昭和卅年十一月卅日、氏神は當地に遷宮、記念碑を建立する事を条件として、九月十九日妥結調印式を挙げた。かくの如く、本交渉開始以來僅か一ヶ月で円満解決した事は、他に例を見ない処である。これは両者共に相手方を信頼(※3)し、政治的工作や掛引(表記ママ)なく誠意を以て事に當り、立会者の正しい後援に依るもので、ひそかに誇りとする処である。昭和卅年八月廿二日、氏神高安大明神の祭日に當り、遷座式と〓(※4)村式を挙行、次いで墓地移転をなし、全戸転居を完了して、我が祖先が當地に足跡を印してより六百有余年の歴史を閉じた。在りし日の一木一草にも想いは盡きず、住みなれた山河への思慕は、誠に断ち難いものがあるが、電源工事の完成と社会の幸福を心から祈りつゝ、各〓(※5)新天地を求めて転居したのである。こゝに湖底に沒した八久和部落移転經過を記し、後世に傳える次第である。

昭和卅一年八月二日之を建てる
佐藤久吉文を撰び
佐藤健治謹書する

※1 しんにょうに占
※2 「收」のへんと、つくりに犬。「状」と同義だろう
※3 「頼」は本文では旧字。つくりが「刀」の下に「貝」
※4 「離」のへんのみ
※5 縦書きに使われる波型の繰り返しの記号

 


(写真1 八久和峠)

写真2 分校跡の看板

写真3 集落付近の水面

写真4 同

写真5 神社

写真6 境内の記念碑

(写真7 堰堤を遠くに望む)

(写真8 ダム堰堤)

 

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