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◆東由利原(ひがしゆりはら)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「矢島」(昭和41.7)を使用したものである

所在:由利本荘市黒沢(くろさわ)
地形図:前郷/矢島
形態:台地に家屋が集まる
標高:約280m
訪問:2018年5月

 

 大字町村の南部、須郷川(子吉(こよし)川支流)右岸山中の台地にある。
 資料『戦後開拓のあゆみ』によると、戦後の開拓集落で昭和31年に地元の次男三男12戸が入植。当初は大豆・小豆・馬鈴薯・雑穀等を栽培。のち和牛を導入し、さらに酪農へと移行していった。しかし冬期の牛乳運搬が困難であることや周囲で開田が進んだこともあり、刊行当時(昭和45年)では衰退傾向の酪農と水田耕作が経営の主体となっている。当時で9戸が定住。
 また町史によると、昭和48年9戸、同55年2戸(ほか2戸が通い耕作)。
 さらに資料『秋田・消えた開拓村の記録』によると、離村は昭和58年。最終的に残ったのは8戸で、昭和57年に7戸が転出している。入植者はすべて由利郡の出身地であった。このうち数人は戦後の引揚者。刊行当時(平成17年)では最後の転出者が唯一通い耕作を行っている。
 現地に残る建物はほとんどないが、一部には耕作されている水田もある。最近の地図でも記されている神社及び墓地は痕跡も見られなかった。
 なお地名表記部分から北におよそ3.8qの交叉点に、「東由利原」と記された看板(写真16)がある。またこの南側には「由利高原ふれあい農場」(町営育成放牧場)があり、乗馬クラブ兼牧場や畜舎・牧草地がある(写真18-20)。ただし町史の東由利地区関する記述に「この地区に隣接して町営育成牧場・旧屋敷酪農組合の牛舎がある」とあるように、この一帯は集落として人家があった場所ではないよう。

 HEYANEKO氏によると、当地には西沢小学校東由利原冬季分校があったとのこと(昭和42年閉校)。

 


写真1 団体営農道。「東由利原地区」と見える

写真2 神社跡付近

写真3 神社跡付近?にて

写真4 屋敷跡?

写真5 道路沿いの風景

写真6 小屋

写真7 建物の遺構

写真8 屋敷跡?

写真9 道と農地跡

写真10 水田跡

写真11 水田

写真12 屋敷跡?

写真13 家屋

写真14 池

写真15 水田

(写真16 地名表示)(以下集落外)

(写真17 写真16付近の碑)

(写真18 牧場施設)

(写真19 畜舎)

(写真20 牧草地)

(写真21 放牧場の看板。「昭和三十九年六月開設」とある)
※ 携帯電話による撮影 

 

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