◆水呑(みずのみ)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「湯澤」(昭和22.2)を使用したものである
所在:羽後町飯沢(いいざわ)
地形図:湯沢/湯沢
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約340m
訪問:2018年5月
大字飯沢の東部、西馬音内(にしもない)川(雄物(おもの)川支流)の支流沿いにある。
資料『秋田・消えた村の記憶』によると、戦後最盛時5戸で、いずれも佐藤家。昭和40年代に2戸が転出し、同48年集落再編成事業により残る3戸が転出したとのこと。転出世帯のうち2戸が町内柏原(かしわばら)に移転している。昭和44年頃電気導入。
現在は宅地の一部であったと思われる建物が1棟と、近年に改築された神社の建物があり、屋敷跡も数箇所確認できる。『消えた〜』の刊行当時(平成9年)には3戸が通い耕作をしていたとのことだが、既に耕作は放棄されているよう。
以下は神社境内にある説明板に記された由緒(■は当方による伏字)。
水呑山龍王神社と水呑
当神社は明治二十年頃、ある夏の日
突如天空に火の玉が現れ地上に近づくにつれ「巨大な火の玉」となって「水呑山山頂」に入れるのを目にした佐藤文蔵
運蔵親子は山頂に「姫龍神様」が鎮座したことを感知し「水呑山を鎮守の森」と定め 山頂には「龍神様」を祀る神社を創建したと伝えられています
神社の工事は私財を投じ明治三十年に着手したが
山間地のため「山頂の整地建築資材等の運搬等」は「人力」に頼る外なく困難を極めましたが遂に明治二十四年神社が完成しました 建立当初から「集落の守り神様」「水呑の龍神様」として親しまれ近隣からも「福俵」の奉納がある等参拝者で賑わいました
しかし昭和三十年代に入り「水呑」も「羽後町」の「集団移転」の対象になった事等から佐藤一族(忠蔵
波之助 伊三郎 徳蔵)は昭和四十八年までに羽後町西馬音内 柏原 田沢 湯沢市
静岡県等に移転し「水呑」には「神社」だけが残りました
建立以来佐藤文蔵家歴代当主等により祭典や保存に努めてきたが建立以来百二十年余り経過し神社の老朽化が激しく兄佐藤■■
姉■■■■■と協力
平成二十年五月から「神社の修復工事」「参道の整備」等を行い平成二十一年七月「工事が完了」「建立当時の姿」に復元しました
…(※以下略。個別の謝辞等)
平成二十一年七月吉日
佐藤文蔵家六代当主 佐藤■■
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