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◆宝仙台(ほうせんだい)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「森吉山」(昭和50.1)を使用したものである

所在:仙北市田沢湖玉川(たざわこたまがわ)
地形図:羽後玉川/森吉山
形態:川岸に家屋が集まる
標高:宝仙台―約370m 湯ノ又(ゆのまた)・小和瀬(こわせ)―約380m 岩ノ目(いわのめ)―約360m(水面は約380m)
訪問:2018年5月

 

 大字玉川の南西部、玉川沿いにある。現在はほとんどが玉川ダムの人造湖(宝仙湖)に水没。ここでは資料『玉川の想い出・礎』の移転者名簿(後述)の区分に倣い、湯ノ又・岩ノ目、そして当方の判断により小和瀬についても触れる。
 資料『秋田・消えた村の記録』によると、昭和53年から54年にかけて玉川ダムの建設により集団移転したとのこと。
 また『玉川の想い出・礎』によると、移転前の家々は以下のとおり。町内生保内(おぼない)の浮世坂地区および上滝沢地区には、移転者のために新たに宅地が造成された。

  小字 移転先
1 宝仙台 伊藤 生保内浮世坂
2 大深 中島 生保内
3 柏木
4 伊藤 生保内浮世坂
5
6 中島 大潟村
7 佐々木 生保内上滝沢
8
9 三浦 生保内
10 浅利
11
12
13 三浦 大曲市【現・大仙市】
14 中島 生保内上滝沢
15 大曲市【現・大仙市】
16 千葉 生保内上滝沢
17 中島
18 煙山 生保内
19 信田 生保内上滝沢
20 酒出 生保内浮世坂
21 田口
22 千葉
23 煙山 生保内
24 照井 生保内上滝沢
25 岩ノ目 田口 町内田沢
26 門脇 生保内
27 湯ノ又 松川
28 生保内浮世坂
29 山形県鶴岡市
30 佐々木 生保内浮世坂
31 生保内

1 本文では家主の姓名および移転前・移転後の住所が記載されている

  『消えた〜』および資料『戦後開拓のあゆみ』によると、昭和26年以降19戸(※2)が入植したとのこと。宝仙台・湯ノ又は既存集落で当時7戸であったが、宝仙台に6戸、岩ノ目に3戸、湯ノ又に1戸、小和瀬に9戸が転入した。入植者は玉川生まれの次男・三男が大半。当初は雑穀が主体であったが、のち開田に着手。以後水田主体の営農となったが、高冷地のため収量は少なかった。昭和33年電気導入、同36年電話開通。
 当地にあった玉川小学校宝仙台分校は、昭和2941日開校(町史)(※3)。昭和54年閉校(HEYANEKO氏調べ)。

2 『戦後開拓のあゆみ』では21戸。ただし2戸が脱落
3 『消えた〜』では昭和28年開校とある

 宝仙台・湯ノ又・岩ノ目は完全に水没しており、確認できる遺構は皆無。ただし岩ノ目付近の湖岸には、先の門脇家の「望郷の碑」(写真7。平成3年設置)があるほか、岩の目公園が整備され温泉宿も季節営業している。
 小和瀬は通常は完全な水没は免れているが、訪問時は水量が多かったため集落部分は水没。集落から上流の小和瀬川沿いには、小和瀬公園(写真11)や小和瀬発電所(写真13)がある。「小和瀬発電所の概要」と題した看板によると、発電所は昭和334月着工、同361月運用開始。
 なおダム建設の主な変遷は、大表のページを参照。

 


(写真1 ダム堰堤)
≪宝仙台≫

写真2 集落跡方面を望む(金倉橋より撮影)
≪湯ノ又≫

(写真3 湯ノ又1号橋)


(写真4 湯ノ又沢)


写真5 集落跡方面を望む
≪岩ノ目≫

写真6 集落跡付近(男神橋より撮影)

写真7 碑。「門脇家これより北300M下方 平成元年11月水没」とある

写真8 岩ノ目公園

(写真9 岩ノ目橋)
≪小和瀬≫

写真10 対岸より地名表記付近を望む

写真11 小和瀬公園

写真12 小和瀬1号橋

写真13 小和瀬発電所

 

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