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◆大野台(おおのだい)六区



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「鷹巣」(昭和42.9)を使用したものである

在:北秋田市脇神(わきがみ)字湯車堂ノ前
地形図:鷹巣西部/鷹巣
形態:台地に家屋が集まる
離村の背景:空港建設
標高:約80m
訪問:2016年5

 

 大字脇神の南部、脇神の本集落より西に2q強の平坦な土地にある。開拓以降既存集落である湯車とともに湯車地区として成り立っていたが、ここでは別々に項目を設ける。
 資料『戦後開拓のあゆみ』によると、戦後の開拓集落で昭和21年に3戸が入植。当初は畑作中心であったが酪農に転換し、刊行当時(昭和48)で3戸とも安定した営農を行っていたよう。
 また資料『秋田・消えた開拓村の記録』によると、入植者のうち2名は湯車出身。初期の作物は大豆・小豆・陸稲などで、のち甜菜も採り入れた。酪農が導入されたのは昭和30年代から。後年は湯車からの居住を移す家が現れ、次第に湯車地区の中心地となった。空港の建設のため、平成6年離村。湯車とは同じ自治会として活動。
 現在はほとんどが大館能代空港の用地となっている。集落の位置は、凡そ県道24号が空港の地下を通る辺り。牧草地も滑走路となっているよう。集落の痕跡は見られないが、ごく一部に往時の道路と思われる路面が見られる。また空港内の緑地には「湯車集落の由来」の碑(平成10年設置。写真4)があり、大野台六区についての説明がなされている。以下はその全文。


 この地は、鷹巣町脇神字湯車堂の前地区の湯車集落跡地である。
 古代から、砂金の産出したところとして伝えがあり、周辺に金堀の地名が残っており、坑道跡数ヶ所も現存している。
 当時技術者として、朝鮮半島からの帰化人が祀ったと云われる今木神社、その子孫も埋葬されたとする共同墓地と併せて、六戸の家屋をここから北北東二・五粁方向、脇神字泉屋敷地内に移転した。
 二百数十体霊魂の冥福を祈りつつ、先祖の生活を偲び、この碑に移転者と関係者の名を連ねるものである。


 なお「移転者世帯主」として、佐藤氏4名・近藤氏・畠山氏各1名の名が刻まれている。

 


写真1 集落跡付近。柵内は空港

写真2 往時の道?より集落方面を望む

写真3 緑地内にて

写真4 碑

 

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