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◆戸倉(とぐら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「花輪」(昭和29.3)を使用したものである

在:鹿角市十和田大湯(とわだおおゆ)
地形図:犬吠森/花輪
アクセント:トグラ
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約440m

訪問:2016年5

 

 大字大湯の東部、大清水川沿いにある
 訪れていた元住民の話では、もと8軒。2015年に最後の住民が亡くなり常住の世帯がなくなったという。なお地形図で「山中沢」と記されている辺りにある家屋も戸倉に含まれ、別の地区という認識はないよう。農業(出荷用の米、自給用の豆・小麦等)や炭焼き・製材等で暮らしていたが、後年は米も売れなくなり次第に肉牛の繁殖に転向した。集落には小学校・中学校の分校があり、学区は大清水地区一円であった。
 現在は無住となった家屋が数戸残るほか、道路脇の水田跡が明るく開けている。学校跡には諏訪富太氏の称徳碑(写真5)が建てられており、碑文によると氏は大清水地区の開拓に尽力した人物であったよう。以下はその全文。

  大清水行
 春花芳草緑烟中
 近碧遥青望不窮
 漠道荒村東北地
 雲山萬古待英雄
  霊泉 諏訪富太

霊泉 諏訪富太先生は夙に郷土振興の志篤く、衆望を一身に集む、大正七年、小坂鉱山煙害被災者に入植の企て起るや、大清水開墾組合長に推戴され、この地に新農村建設の礎石を定められる。当時、潅木雑草丈を没し、湿原細流足を奪い、その難事業たるを思わしむ。
以来、時に開拓者と起居哀樂を共にし、時に官衙、要路に陳情を重ね。率先躬行遂に宿願の平和郷実現を見るに至る。亦、昭和廿四年北奥羽経済開発協議会を首唱し、その交流幹線たる、大湯、三戸道路の改修を期して東奔西走し、爲
に坦々たる大道忽然とこの山間に出現し、国道百四号線となる。これ実に先生の深き哲学的思索に根ざした郷土愛と地域振興の雄図に出てたるものとす。
 茲に、先生の徳行を敬慕し、その恩恵を仰ぎ以つて業績を世々に伝えんことを願う。
  昭和四十八年十月十日
   諏訪富太先生彰徳碑設立委員会


 なお、中滝小学校大清水分校は
昭和48年閉校(HEYANEKO氏調べ)。中学校分校の閉校もこの頃か。

 


写真1 集落風景

写真2 屋敷跡

写真3 家屋

写真4 学校跡

写真5 碑

写真6 池と宅地

写真7 水田跡

 

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