◆赤沢(あかさわ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「花輪」(昭和29.3)を使用したものである
所在:鹿角市尾去沢(おさりざわ)字赤沢
地形図:花輪/花輪
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設?
標高:約270m
訪問:2017年5月
大字尾去沢の中部、尾去沢鉱業所の南東およそ800mの谷沿いにある。尾去沢鉱山に伴う集落。
資料『花輪・尾去沢の民俗』によると、「昭和十二年赤沢ダム構築により移転」とのこと。昭和8年130戸。個人住宅と鉱員長屋・共同浴場・小学校分教場・神社(山神宮)・寺院といった施設があり、商店も3軒あった。昭和11年11月中沢ダム決潰の後、鉱山に出る道が雪崩で危険ということで、長屋居住者は城山に設けた長屋に移転。私宅居住者も次第に移転した。
『花輪〜』および尾去沢小学校ウェブサイトによると、沿革は以下のとおり。
明治17.3 |
尾去沢鉱山小学校の分教室として開設 |
明治31.4.1 |
廃止 |
大正12.4.1 |
分教場開設 |
昭和9.10(『花輪〜』)
昭和10.3.21(ウェブサイト) |
廃止 |
現在は坑口跡(写真1)のほか、新しく設けられた堰堤の付近で施設の遺構が見られる程度(写真2-4)。しかし手前のS字カーブの辺りにも建物が集まっていたようで、段々になった平坦地や僅かな遺構が確認できる(写真5-7)。ほか道路沿いに「御獅子堂跡」、先の堰堤付近に「黒瀧跡」の標柱がある(写真8・9)。以下はそれぞれ標柱に記された解説。
・御獅子堂跡
獅子大権現の伝説は、和銅、天平、文明の年代にわたる三つの伝統がある。
この堂は、その跡に建てられ永く鉱山の守り神となった。
・黒瀧跡
昔美しい黒瀧のかかったあたりに旧坑があった。
黒瀧浦といわれ正保年のなかばより元録(表記ママ)にかけて盛山をきわめた。
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