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◆下嵐江(おろせ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「燒石嶽」(昭和21.10)を使用したものである

所在:奥州市胆沢区若柳(わかやなぎ)
地形図:石淵ダム/焼石岳
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が集まる
離村の背景:ダム建設?
標高:約320〜360m(水面は約340m)
訪問:2018年11

 

 大字若柳の中部、胆沢川と支流の前川との合流部付近にある。現在は胆沢ダムの人造湖(奥州湖)に水没しているが、それ以前の石淵(いしぶち)ダム(これも奥州湖に水没)が建設された際に離村したものと思われる。
 現地には水没地区と「猿岩」が望める場所に「おろせ広場」(写真3)が設けられ、水没時に移設された「弘法の枕石」や種々の石造物が集められている。
 以下は「千思万感」の碑(平成24年設置)に刻まれた文章(枕石の説明)。

その昔 弘法大師が猿岩山頂の於呂閇志(おろへし)神社(写真8)に参詣した折りに一夜を伏したと言われ多くの人々より弘法の枕石と称され 祈願されてきた。重量十五トン余りの巨石であります。
この度の胆沢ダム完成により永久に湖中のものとなるため、ここに各位の協力の基に石淵ダム湖底から難を究めつつも引き上げ移設したものであります。


 また枕石の右脇には、明治時代に作られた枕石の由来の碑
がある。
 町史より、炭焼きや一部でマタギによる狩猟が行われていたことが窺える。
 なお
HEYANEKO氏によると、当地には愛宕(あたご)小学校下嵐江分校があったとのこと。昭和35年開校、同40年閉校(ただし氏による表記は「下風江」)。
 資料『北上川の五大湖を訪ねて 石淵湖』に水没家屋13戸、小学校1校(下嵐江)との記述があり、下嵐江分校を指すものであるよう。位置は不明だが、旧版地形図で
谷子沢の対岸に記されている学校がそれか(下の「画像」)。

 


(写真1 胆沢ダム)

(写真2 建設時の石淵ダム。胆沢ダム展示室にて)

写真3 おろせ広場

写真4 弘法の枕石

写真5 石造物群。右より「馬頭觀世音」・「山神供養」・「馬頭觀世音」・石仏・?(風化で判読できず)・「有無両縁三界万〓」・「西國三十三番供養」・「南無阿彌陀佛」とある(〓は霊の異体字)。

写真6 周辺案内図と「仙北街道 下嵐江藩境御番所跡」の石柱

写真7 集落水没部分を望む。橋梁は奥州湖大橋(猿岩橋より撮影)

(写真8 猿岩付近の於呂閇志神社)

写真9 石淵ダム建設後の航空写真(胆沢ダム展示室にて)

画像 
谷子沢と学校

 

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