◆相ノ山(あいのやま)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「一戸」(昭和22.2)を使用したものである
所在:一戸町月舘(つきだて)
地形図:一戸/一戸
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約230m
訪問:2017年5月
大字月舘の北部、安比(あっぴ)川(馬淵(まべち)川支流)の支流沿いにある。
現地には家屋が3軒ほど。路傍には「龍神社」の小さな社もある(写真2)。これには明瞭な敷地がないが、別の場所から移設したものだろうか。
なお相ノ山は武将・姉帯兼興(あねたい・かねおき)の妻である小滝御前の生誕地・終焉の地であるようで、集落の北側には説明板が置かれている(写真5)。以下はその全文。
薙刀の名手小滝の前最後の地
稀にみる美人で女傑の運命
小滝の前は相ノ山佐吉家に生まれ、長じて相ノ山の千葉家に嫁いだと言われている。
小滝の前の武芸は、長慶天皇のお供をしてやって来た武芸者
赤屋敷大八の指南によるものだと言い伝えられている。小滝の前は、薙刀の使い手だけではなく、稀にみる美貌の持ち主であったために、美人と秀いでた武芸が姉帯城主姉帯大学兼興の目にとまり兼興の奥方となったが、小滝の前二十一才の時蒲生氏郷が大軍を率いて姉帯城を攻撃して来たため小滝の前もこの攻撃に遭遇する。この攻撃により城主兼興は割腹して自害し、姉帯城は落城する。小滝の前は、この時寄せ手の軍勢と戦ったと言われているが、自からは城に戻り女性でありながら棒術の名手であった小屋野と供に、育った小滝に落ち延び、相ノ山の赤屋敷家に深く身を寄せたが、しかし詮議が厳しく隠れ切れないと察した小滝の前は、侍女と共に自害して、この地ではてた。
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