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◆富咲(とみさき)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「遊楽部岳」(昭和35.11)および同「今金」(昭和36.5)を使用したものである

在:八雲町富咲
地形図:上八雲/遊楽部岳 ルコツ岳/今金
異表記:トワルベツ(旧称)
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:約50m〜(学校付近は約80m)
訪問:2014年5月

 

 町の北部、遊楽部(ゆうらっぷ)川支流のトワルベツ川沿いにある
 町史には、明治28年、当時の字ユーラップ(現在の字上八雲)と字トワルベツ(当地)に亘る地域に開設された大関(だいかん)農場の記述があり、この農場の小作人が入植したことが当地の開拓の始まりであると思われる。ほか上巻では吉植農場・増田農場・葵農場、下巻では吉植・増田のほか田下・久保などの農場が明治後期に入地したことが触れられている。また団体入植として明治後期にはトワルベツとサックル(夏路)に越後団体27戸が入植したとのこと。
 
昭和10年代には交通が不便であることや地力の低下・薪炭材を伐り尽くしたことにより転出者が続出したが、戦後は緊急開拓地として選定され、昭和22年5戸、同23年2戸、同28年13戸、同29年2戸(上巻より)、ないし昭和22年7戸、同24年15戸、同29年2戸、同30年6戸(下巻より)が入植。さらに関東大震災の罹災者を入植者として受け入れる「許可移民事業」により、昭和8年に5戸が入植。
 以下は学校の沿革。

 明治40.1  私設の教育所開設
 明治40.5  維持困難のため休止
 明治40.11  再開
 明治41.12.15  大関(だいかん)尋常小学校付属トワルベツ特別教授場開設
 明治42.8  村がサックルペシベ特別教授場(夏路所在)との統合を計画し、サックルペシベとトワルベツの境界付近に校舎建設
 (しかしサックルペシベ・トワルベツともにこれを拒否。当地では従来の施設を使用し私設教育所を継続)
 大正4.4.1  大関尋常小学校付属富有別(とわるべつ)特別教授場と改称(※)
 昭和15.3.31  廃止
 昭和31  大関小学校富咲分校開校
 昭和42.4  独立。富咲小学校となる
 昭和47.3  廃校

※ 漢字表記に改める際、住民が用いつつあった「都有別」とすることを申し出たが、支庁では「トワルベツ」意訳した「温川(ぬるかわ)」とする提案があり、最終的には「富有別」となった経緯がある


 現在の地内には畜産会社の堆肥工場(写真2)が稼働しており、人の往来は度々あるよう。また牧草地が広い範囲に所在している。管理家屋も見られるものの、屋敷跡が特定できる場所は少ない。学校跡には碑があるようで、HEYANEKO氏らが訪問時に確認している。当方でも見当を付けて時間をかけて探してみたが、見つけることはできなかった。

 


写真1 道と牧草地

写真2 堆肥工場

写真3 家屋

写真4 道と牧草地

写真5 サイロ

写真6 遺構

写真7 平坦地

写真8 牧草地

写真9 サイロ

 

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