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◆藻内(もない)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「奥尻島南
部」(昭和36.1)を使用したものである

在:奥尻町湯浜(ゆのはま)・米岡(よねおか)
地形図:赤石/奥尻島南部
アクセント:ナイ
形態:河口付近から海岸にかけて家屋が集まる
離村の背景:災害

標高:数m〜
訪問:2014年5

 

 字湯浜の南部、藻内川の河口付近にある。地図サイトでは藻内川が字境になっており、集落は右岸側の湯浜(ゆのはま)、左岸側の米岡(よねおか)両地区に亘っている。学校の所在は左岸の米岡。
 地元の方の話では、平成5年の大地震(※)に伴う津波により離村したとのこと。現在でも1、2組の関係者が時おり訪れているという。
 町史によると、罹災時9戸15人。低地に建っていた8戸はすべて流失し、7人が犠牲となったほか、行方不明者1人、負傷者2人を出している。これは「地区別被害状況の内訳」を見ても、戸口当たりの被害の割合が最も高い。当地にあった青苗小学校藻内分校は、昭和27年4月1日開校、同52年3月31日閉校。児童数は、昭和37年21人、同38年25人、同39年25人、同40年25人。
 なお
町教育委員会から頂いた資料では、昭和29年の時点で「藻内」に9戸、すぐ背後の高台にある「炭山」に1戸。
 現地には河口付近に2軒の管理家屋が見られるほか、建物は見られない。左岸側は学校跡と思われる場所も含め広く更地。右岸側には何かの施設(採石場?)があるが、罹災後に転用されたものか。小さな港(写真3)には舟が集まっており、これらは現在でも使用しているものと思われる。
集落の外れには津波痕跡地点の看板(写真6)が設置され、「時速500km」「津波痕跡高23.3m」といった解説からはその恐ろしさが窺われる。

※ 北海道南西沖地震

 


写真1 河口付近の集落風景

写真2 学校跡付近

写真3 港と無縁島

写真4 打ち上げられた舟

写真5 無縁島海岸バス停

写真6 津波痕跡地点の看板。到達点は後方の目印

 

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