戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆峩朗(がろう)
(峩朗鉱山)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大沼公園」(昭和30.3)を使用したものである

在:北斗市峩朗
地形図:陣屋/大沼公園
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約100〜150m
訪問:2014年5月

 

 旧上磯町の北部、宗山川沿いにある。石灰石を産出する峩朗鉱山に伴う集落があった。
 
町史によると、峩朗地区から石灰石が搬出されるようになったのは、明治17年の上磯セメント設立以降からのよう。峩朗から工場まで馬によるトロッコを敷いたが、セメントの製造法が国内では確立されておらず経営不振に陥った。明治23年、北海道セメント株式会社設立。上磯セメントの借財を肩代わりし、業務を引き継ぐ。大正4年、北海道セメントが浅野セメント株式会社に吸収合併され、同社の所有となる。濃尾地震(明治24年)や関東大震災(大正12年)の復興によりセメントの需要が増し、経営は安定。昭和22年、社名を日本セメント株式会社と改称し、現在に至る。
 従業員は大正期のおよそ2,000人をピークに機械化等の合理化で昭和20年代後半から減少し、昭和31年には600人弱、同42年には500人弱、平成2年にはおよそ250人となっている。なお昭和36年には峩朗社宅の従業員は工場近くの社宅に移転している。反して生産量は上昇し、平成2年にはセメントの年間生産量360万トン、出鉱量518万トンを記録(いずれも過去最多〔刊行当時〕)。
 運搬は当初は馬の牽くトロッコであったが、大正12年には専用軌道完成。昭和48年には列車輸送では追いつかなくなりベルトコンベアに変更。平成元年以降は、コストの面からトラック輸送に変わる。
 
峩朗小学校は、大正8年1月5日谷川小学校の峩朗特別教授所として開校、昭和36年廃校。
 また「角川」によると、昭和11年日本セメント診療所峩朗出張所開設、同18年峩朗郵便局開局。昭和25年168戸875人、昭和40年以後無住地。字峩朗は昭和5年からの行政字で、もとは上磯町大字上磯村・谷好村の各一部。

 現在も引き続き業務が行われており、訪問は鉱業所の敷地内入口まで。

 


写真 鉱業所入口

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ