◆三番川(さんばんがわ)
所在:当別町青山奥三番川(あおやまおく―)
当別川の支流、三番川付近の集落。字青山奥三番川は「道民の森」や青山貯水池を含む広い地域。家屋は現在の道道に沿うほか、水没したものもあったよう。 明治37年山口・広部・川辺・芋田各氏等の農場が作られ、明治38年頃から小作人が開墾に入ったが、これらは大正2年の大凶作をきっかけに大半が脱落 戦後の開拓により、昭和21年数戸が入植。小豆・大豆・燕麦・野菜などを栽培。冬は四番川で造材の労働者として働いた 昭和27年春、富良野・秋田県・新潟県から農家分家の各団体が入植。この時42戸 (昭和21〜28年にかけ、樺太からの引揚者、開拓実習場出身者なども含め54戸が入植) 青山ダム工事に伴う水没地区が移転となり、戸数が減少 昭和33年、町からの指導を受け酪農を導入。しかし冬期の牛乳の輸送が支障となり3、4年で中止 同時期ユリ根の栽培を試み好調であったが、2、3年で価格が暴落 度重なる作物の転換や冷害が災いし、全農家が負債を抱えることとなる。集落の総意で離農する気運が高まり、町は道・国に陳情し移転資金の援助を受けることになる。昭和46年度中に、全戸が転出 以下は学校の沿革。 (小学校)
(中学校)
※ 同書の別の記載では、同年に「当別中学校三番川分校となった」とあるが、詳細は不明 訪問は道道沿いおよびダム堰堤周辺のみ。家屋の痕跡も確認できず、学校跡地でも特に目立ったものは見られなかった。
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写真1 青山貯水池 |
写真2 学校跡? |
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写真3 学校裏の平地 |