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◆清原(きよはら)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「双葉」(昭和48.4)を使用したものである

在:伊達市大滝区清原町(きよはらちょう)
地形図:双葉/双葉
異表記:オロウエンシリベツ・上尾路遠(かみおろえん)(旧称)
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:約420m(学校付近)
訪問:2014年5

 

 旧大滝村の北部、オロウエン支線川(オロウェン支線川)沿いおよび北側の峠を越えた尻別(しりべつ)川の左岸支流沿いにある
 村史および「角川」によると、明治40年より貸付が行われた「オロウエンシリベツ区画」の一部であり、この区画は当地のほか現在の喜茂別町御園(みその)・金山(かなやま)、大滝村の富里町(とみさとちょう)・宮城町(みやぎちょう)が含まれている。入植は明治40年からあり、集落が形成された。
昭和34年旧広島団体(現在の清陵)などが新営農類型モデル地区となり、全国から45戸(村史)あるいは43戸(角川)が地区内に入植。昭和55年2戸5人。
 
なお字清原は昭和17年からの行政字。当時は字清陵にあたる地域の一部も含んでおり、昭和43年地内の一部と字大滝の一部が字清陵となった。
 
以下は当地にあった学校の沿革。

 明治44.7.1  私立のオロウエンシリベツ学校開校
 明治45.8.10  公立移管。徳舜瞥(とくしゅんべつ)教育所所属オロウエンシリベツ特別教授場となる
 大正3.4.1  徳舜瞥教育所が尋常小学校となり、同校所属第二尾路遠特別教授場となる
 大正6.4.1  尾路遠尋常小学校の所属となる
 大正9.6.1  愛徳尋常小学校の所属となる
 大正12.4.1  広島特別教授場(※)を併合し、広尾特別教授場と改称
 昭和9.4.1  独立。徳尾路遠尋常小学校となる
 昭和16.4.1  徳尾路遠国民学校となる

 昭和22.4.1

 清原小学校となる
 昭和44.3.31  廃校

※ 後の清陵にあたる地域にあった

 現地は国道や道道に面しているものの、屋敷跡の特定はできず。最近の地図で「墓地」となっている所も跡地?になっているようで、墓は見られない(写真3)。学校跡は倉庫のある平坦地になっており、付近で会った方の話では敷地の東側に校舎があったとのこと。

 


写真1 清原バス停

写真2 サイロ跡

写真3 墓地跡?

写真4 平坦地

写真5 学校跡付近。建物は倉庫

 

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