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◆昭和(しょうわ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「恵比島」(昭和45.3)を使用したものである

在:沼田町昭和
地形図:ホロピリ湖/恵比島
形態:川沿いに家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:200m前後
訪問:2012年6

 

 町の北西部、幌新太刀別(ほろにたちべつ)川上流部にある。昭和炭礦に伴う炭礦集落。
 以下町史および「角川」より。

昭和5年1月明治鉱業株式会社昭和鉱業所開坑。昭和44年4月閉山
人口は、全盛期の昭和29年頃約3,800人。閉山の昭和44年4月には2,172人。閉山からわずか3箇月で無人になった
主な施設に信和会館(映画・演劇場)・クラブ・病院・派出所・図書館・理髪店・役場出張所・郵便局・保育所など。
職員住宅109戸・鉱員住宅453戸・アパート10棟134戸・職員寮1棟・鉱員寮3棟
神社は
昭和大祇神社。昭和5年昭和炭礦の開坑とともに病院の裏山に建立。のち小学校近くの山頂に遷座されたが、昭和45年廃止
寺院に竜泉寺(曹洞宗)。昭和24年住職が入山・布教開始。それまでは浅野の布教所(のちの瑞巌寺)の檀家であった。閉山後の同44年6月閉鎖・移転。
 以下は学校の沿革。

(小学校)
 昭和5.4.1  奥御料尋常小学校分教所として開設。社宅の一部を借用
 昭和6.6  独立。昭和尋常小学校となる
 昭和8  高等科設置
 昭和16  昭和国民学校と改称
 昭和22.4  昭和小学校と改称

 昭和44.7.22

 廃校

(中学校)
 昭和22.5  昭和中学校開校(昭和小学校に併置)
 昭和24.5  移転独立

 昭和44.7.22

 廃校

  昭和5 昭和10 昭和20 昭和22 昭和25 昭和30 昭和35 昭和40 昭和44

児童数

50 229 436     543 716 357 283
生徒数       99 215 221   282 129
※ 赤字は最多

 現地は比較的多くの建造物やその址が残っており、広く廃墟となっている。特に坑口方面への分岐付近より上流には遺構が多く残る。また所々に架かる橋では、林道と平行していた鉄道橋の痕跡が確認できる。川沿いの道から外れると進入は困難。なお当地には隧道に設けられた商店街があったが、これを見落としてしまったことは悔やまれる。
 浅野のホロピリ湖展望台には往時の浅野・昭和の地図や写真を見ることができ、探索の手がかりとなる(写真28-30)。

 


写真1 建造物(以降下流側より)

写真2 建造物

写真3 遺構

写真4 遺構(以下写真8まで学校付近か)

写真5 遺構

写真6 煙突

写真7 遺構

写真8 便器

写真9 遺構

写真10 流し台

写真11 遺構

写真12 遺構

写真13 建物の一部

写真14 煙突

写真15 隧道付近

写真16 坑口方面への隧道

写真17 遺構

写真18 建造物

写真19 遺構

写真20 建物の一部

写真21 道と集合住宅

写真22 集合住宅

写真23 同入口

写真24 同2階部分

写真25 同窓

写真26 同階段

写真27 プール

写真28 往時の地図(
浅野にて)

写真29 (同

写真30 炭住(同)

 

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