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◆新登川(しんのぼりかわ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「紅葉山
」(昭和36.11)を使用したものである

在:むかわ町穂別長和(おさわ)
地形図:長和/紅葉山
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
離村の背景:多くは産業(採炭)の衰退
標高:約250m
訪問:2014年5

 

 字長和の北部、穂別川沿いにある。炭礦の開発に伴い形成された集落。
 以下は町史より、
新登川炭礦の主な沿革。

 明治40.4  佐々木氏(※1)により発見、飯田氏の所有となる
 大正7.11  北海道採炭株式会社の所有となる
 昭和13  東京の飯田氏の所有となる
 昭和14.6  新登川炭鉱株式会社設立、同社の所有となる
 昭和19  戦争末期の石炭需要のため一時採炭
 昭和21  新登川炭礦として開鉱
 昭和26  道労政課より、閉鎖指令を受ける
 昭和29.6.20  休鉱。同年4月の火災や、その後の融雪による坑内の浸水により採炭不能となったことが起因

※1 長和最初の入植者、佐々木氏と同一人物

 集落の発生は昭和19年の採炭時で、所長塚田氏を団長とする私設警防団も置かれている。当初はごく小さな集落であったが、昭和21年の開鉱以降多数の労働者が集まり、昭和22年には従業員200名、およそ150戸750名の鉱山集落を形成するに至る。昭和35年28戸120人、39年34戸118人。閉鉱後は次第に農家の離村が進んみ、昭和45年11月集団移転が行われた。
 また以下は当地にあった学校の沿革と児童数・生徒数の推移。

(小学校)
 昭和21.4.13  同年4月1日に遡り長和国民学校新登川分教場の設置認可と決定
 昭和22.3.25  独立。新登川国民学校となる
 昭和22(※2)  新登川小学校となる
 昭和23  校舎新築移転
 昭和31.4.17  校舎全焼。仮校舎での授業となる
 昭和38  校舎新築移転
 昭和45.11.30  休校
 昭和46.3  廃校

※2 本文では5月1日としているが、学校教育法の施行は4月1日であり疑問が持たれる

(中学校)
 昭和23  穂別中学校長和分校新登川学級開設

 昭和24.4.1

 穂別中学校新登川分校となる
 昭和24.5.1  独立。新登川中学校となる。小学校に併置
 昭和32.3.31  廃校


 訪問は車道から近い部分のみで、いくらかの倒潰家屋や遺構が見られた程度。学校跡には碑が建てられている(写真5)。JR石勝線の新登川トンネルの出入口付近に住宅地および全焼時の校地があったようだが、これらは未訪問。

 


写真1 倒潰家屋

写真2 建物跡

写真3 3号橋付近から東オサワ信号場方面を望む

写真4 倒潰家屋

写真5 学校跡の碑

写真6 校地の遺構

写真7 遺構

写真8 建物跡にて。写真中央に遺構

 

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