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◆イトムカ(いとむか)鉱山

所在:北見市留辺蘂町富士見(ふじみ)
訪問:2013年6月

 

 町の東部、無加(むか)川支流のイトムカ川流域にあった水銀鉱山。道北の上川町と境をなす石北(せきほく)峠にもほど近い。事業所等が置かれた大町地区と、採鉱の拠点となった山間部の元山地区に大別される。
 町史および大町にある碑によると、昭和14年、関西の実業家・野村氏が大和鉱業株式会社(翌年野村鉱業株式会社に改称)を設立し、鉱山の開発に着手。鉱床発見のきっかけは
昭和11年の暴風雨で、風倒木の搬出作業中に木の根に付着した良質の辰砂(水銀の原料となる鉱物)が発見されたことによる。以後国内でも稀少な水銀鉱山として、生産量・処理能力で東洋一を誇っていた。昭和48年閉山。
 現在は大町において、企業が水銀を含む廃棄物の処理・リサイクルを
行っている。

 

 

≪大町(おおまち)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「石狩岳」(昭和36.7)を使用したものである

地形図:石北峠/石狩岳
形態:川沿いに家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退

標高:約660
m

 

 町の西部、無加(むか)川沿いにある
 町史および現地の碑によると、
鉱山事務所・選鉱場・精錬所のほか、350余戸の社宅・寮・恵泉(けいせん)小学校・恵泉中学校・診療所・伊頓武華郵便局・恵泉公民館・町役場出張所・駐在所などがあったよう。昭和48年閉山によって無住となる。鉱山の開業当初の交通手段は、1日1往復の官行軌道に便乗するもの。林野庁との交渉ののち、路線は鉱業所との共用となる。昭和32年には国道が開通した。
 学校の碑によると、恵泉(けいせん)小学校は昭和16年(町史では17年)3月25日恵泉国民学校として開校。恵泉中学校は昭和22年4月1日(町史では6月1日)開校(小学校に併設)、同27年独立校舎となる。小学校・中学校ともに昭和46年3月20日廃校。
 現在は先述の企業の工場が稼働中で、かつての集落跡地は確認できず。社有地の出入口付近に「イトムカ鉱山発祥之地」の碑(写真1)や小学校・中学校の碑(写真2)がある。

 


写真1 碑

写真2 学校の碑

 

≪元山(もとやま)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「上支湧別」(昭和36.7)を使用したものである

在:北見市留辺蘂町富士見(ふじみ)
地形図:武利岳/上支湧別
形態:山中に家屋や施設が多数集まる
離村の背景:事業の集約

標高:約1,000
m
訪問:2013年6月

 

 町の西部、無加(むか)川支流のイトムカ川沿いにある
 
町史によると、採鉱関係従業員の社宅50余戸のほか、伊頓武華小学校・診療所・配給所・共同浴場・合宿などがあったよう。昭和37年企業整備を行い、同39年には経営の合理化。元山に居住する従業員は、全戸が大町に移転、バスで通勤することとなった。また伊頓武華小学校は、昭和21年5月恵泉国民学校附属元山分教場として開校。昭和23年伊頓武華小学校として独立。昭和39年廃校。
 現在は建造物の類はほとんど見られないが、基礎などの遺構が多数残されている。古い地図を頼りに学校跡や神社跡を探索するが、特定には至らず。

 


写真3 平坦地


写真4 遺構

写真5 何かの構造物

写真6 建物跡

写真7 学校跡?

写真8 住宅跡

写真9 同

写真10 同

写真11 同

写真12 住宅跡にて

写真13 同

写真14 集落内のイトムカ川

写真15 ?

写真16 住宅跡

写真17 住宅跡にて

写真18 川沿いの遺構


写真19 住宅跡


写真20 同

写真21 住宅跡にて

写真22 電柱

写真23 何かの槽

写真24 沈澱施設?

写真26 施設跡

 

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