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◆美開(びかい)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「美瑛」(昭和36.10)を使用したものである

在:美瑛町美園(みその)
地形図:瑠辺蘂山/美瑛 美馬牛/美瑛
アクセント:カイ
形態:高原に家屋が散在する
標高:約380m
訪問:2013年6

 

 字美園の南部、瑠辺蘂(るべしべ)川左岸山中の緩やかな傾斜地にある。
 『美瑛町百年史』によると、戦後の開拓集落として昭和22年頃誕生。畑作が主で当初は20戸くらいがあったという。以下は美開小学校の沿革と児童数の推移。

 昭和29秋  美開橋付近に仮校舎建設
 昭和30.4.1  西美小学校美開分校設置認可(15日開校式)
 昭和30.9  新校舎落成
 昭和40.6.15  美開小学校として独立

 昭和47.3.31

 廃校

  昭和30 昭和35 昭和40 昭和45 昭和47
児童数 37 27 12 5 6
学級数   2 1 1 1

 現在集落跡は見渡す限りの畑地・牧草地になっており、家屋は1軒もない。耕作を行っている方の話によると、昭和50年頃にはまだ1軒が暮らしていたという。現在の作物は小麦・ジャガイモ・甜菜だが、往時もだいたい同じ物を栽培していた。なおこの方に地区に残っている家屋(厳密には美園の「中ルベ」。写真7)や一部の屋敷跡、学校跡を教えていただいた。
 なお美開小学校は美園地内ではなく、瑠辺蘂川右岸の川岸近く(字瑠辺蘂の「第1」に属する)。廃校後キャンプ場として利用されたが、今はその跡形もない。また集落の名称の元になったと思われる美開川も、集落のある左岸側ではなく右岸側の支流である。

 


写真1 畑(奥は日高山脈)

写真2 畑

写真3 集落風景

写真4 屋敷跡?

写真5 屋敷跡?

写真6 屋敷跡

(写真7 「中ルベ」の家屋)

(写真8 学校跡降り口)

(写真9 学校跡)

 

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