玉置紋之助の墓碑

玉置紋之助の墓碑

鶴ヶ城主玉置氏の末裔、玉置紋之助公墓所

200年余りにわたって山地郷を支配してきた玉置一族の栄華も豊臣秀吉の南征伐による鶴ヶ城落城と共に消え玉置氏末裔は幕藩体制に押し流されてしまった。
延宝9年旧暦正月元旦、かつては玉置一族の家臣の末裔 庄屋松本重次郎が年始参りから自宅に帰った。紋之助は庄屋宅の玄関先で年賀口上の機を窺っていたが、権力者庄屋の尊大さを見て、鬱積を爆発させてしまった。
しかし、敢え無くお縄となり栃久保に幽閉され、庄屋重次郎は食物、水を与えない餓死の刑に処したが、夜陰に乗じて差し入れする里人もおり、宮代小原に移し再幽閉した後、同年7月3日に遂に頓死した。
紋之助の死後、里人による庄屋糾弾が起こり、松本氏はその職務を剥奪されたと伝えられている。


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