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◆今原(こんばら)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「川本」(昭和50.8)を使用したものである

所在:邑南町日和(ひわ)
地形図:矢上/川本
アクセント:コンバラ
形態:山中の緩い傾斜地に家屋が集まる
標高:約510m
訪問:2012年8
月・2026年6月

 

 大字日和の南部、日和川上流部の平坦地にある。
 地元の方の話によると、分かるもので5、6軒。米を換金作物として栽培し、後年はリンゴも作っていたという。離村は昭和40年代後半か。
 現在集落跡は植林で覆われ、家屋の跡もよく分からなくなっている。全体的に非常に平坦。集落の入口付近には「雲井観音堂」がある(写真5)。

 2026年再訪。過去の航空写真をもとに、2箇所の屋敷跡を確認した。うち1箇所は寺院跡(今原山長円寺)の標柱が立つ。

 町誌には、戦後の開拓集落として空田とともに挙げられている。ほか当時(刊行は昭和47年)は4家族が暮らし、いずれも他府県からの戦後入植者であること、稲作が行われているほか杉の苗圃があることが触れられている。
 また
長円寺は、前身を長福寺(山号清滝山、院号柳池院)(※)とする寺院。日和城寺本氏の菩提寺であった。永禄年間、当時の城主二男の氏長が僧となり、円流と名乗った。円流は浄土真宗に帰依し、寺院も改宗。この際長福寺の「長」と円流の「円」をとり、「長円寺」と改称した。延徳年間矢上(やかみ)の田津之木に移転し、7代目の頃中野の字古寺に移転、寛文年間中野の現在地に移転した。

※ 当時の宗派については、同書内の記述によって真言宗・天台宗・禅宗とあり一定していない

 


写真1 集落方面を遠くに望む

写真2 集落内の橋

写真3 集落内の道

写真4 集落跡

写真5 観音堂

写真6 屋敷跡
(以下2026年撮影)

写真7 屋敷跡(寺院跡)

写真8 水瓶

写真9 集落内の橋(=写真2)

 

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