戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆矢崎(やざき?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「長野」(昭和21.12)を使用したものである

所在:長野市松代町豊栄(まつしろまちとよさか)
地形図:信濃松代/長野
形態:谷沿いに家屋が少数集まる?
標高:約660m
訪問:2025年11月

 

 大字豊栄の南部、蛭 (ひる)川(千曲(ちくま)川支流)の上流部にある。
 1960年代・70年代の航空写真で確認できる人家は1箇所のみ。ほか前者では上流左岸に農地の区劃がはっきりと写っている(最近の地形図で畑の記号が記されている場所)。
 なお最近の地形図で記された建物は豊栄浄水場で集落との関連はないが、付近には往時からの馬頭観世音の石塔が置かれている。屋敷跡は特に遺構は見られない。

 町史には文化10年から14年(1813-17)にかけて開墾された矢崎新田の記述があるが、近隣の白石を思わせる「白石新田」もこの直後に開墾されていることから、当地はこの新田にかかわりの深い集落であると思われる。参考までに、矢崎新田・白石新田の発祥の概略は以下のとおり。

 現在の坂城町・鼠宿(ねずみじゅく)に、吾妻銀右衛門という篤農家があった。彼は小網山内(おあみやまうち)の未開墾の地に着眼し、これを開墾するために移住。上州より取り寄せた桑苗を栽培し、また蚕種の生産に従事すると、これに倣って移り住む者が増え小網山内新田村を成すに至った。
 藩はその功績を認め桑苗御用掛に任じ、文化10年関屋村の藩有地2万坪を開墾し、桑園とするべくその地に移住させた。
 吾妻銀右衛門は文化14年までに1万坪を開墾し、年々桑を産出するに至った。これより徐々に移住する者があって、一村を成すに至った。これが矢崎新田である。
 文化15(1818)年よりさらに6,500余坪を開墾し、これを白石新田といった。

 


写真1 下流の農地跡

写真2 馬頭観世音

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡付近の巨樹

写真5 上流の農地跡

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ