橋杭岩  Hashigui Rocks


 奇岩・名勝として名高く“一つ二つと橋杭たてて”と串本節に歌われるこの岩は、昔、弘法大師によって立てられたという伝説を持ち、大小40余り、全長約700mの柱状の岩塊である。また、遠浅の海岸は海水浴場としても名高い。





   <橋杭岩にまつわるお話(1)>
橋杭の立巖  
 昔々、弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)が熊野地方を旅したときのことである。

 天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じた。我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、何とかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かんだ。
 「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」
と誘いをかけた。
 「それが良い、それが良い。」
と弘法大師も早速賛成した。
 「ところで二人いっぺんに仕事するのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」
と天の邪鬼は言った。いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいた。

橋杭岩02  いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになった。一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと草むらの中から窺っていると、弘法大師は山から何万貫あるか分からない巨岩をひょいと担いできて、ひょいと海中に立てている。2,3時間のうちに早くも橋杭はずらりと並んだ。天の邪鬼はこの様子を見て、
 「大変だ! 大変だ! この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」
とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末、
 「コケコッコー」
と大声で鶏の鳴き真似をした。すると弘法大師は、
 「おやもう夜が明けたのか?」
と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると
 「コケコッコー」
 やはり鶏の鳴き声がする。弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止した。

 そのときの橋杭の巨岩が今に尚残っており、列巖の起点には弘法大師の小宇を祀っている。

*** 昭和44年/串本町公民館発行 「串本町民話伝説集」より ***



   <橋杭岩にまつわるお話(2)>
太吉の涙  
 本州の南の端の町串本に、大島という島があります。

 昔、その島に太吉というたいそう正直な男が住んでいました。あんまり正直すぎるので島の人たちは馬鹿の太吉と呼んでいるくらいでした。大島の沖には黒潮という海の流れがあって、黒潮入道という海坊主が住んでいました。黒潮入道が怒り出すと海が荒れて、大島から向かいの串本へ渡ることができないようになります。無理に渡るときっと大勢の人が死にました。太吉は黒潮入道が怒り出したときでも平気で大島から向かいの岸に渡れるようにしたいと思って、神様へ
 「太吉の命を差し上げますからどうぞ願いをお叶えくださるように。」
と、お祈りをいたしました。

 ある晩、太吉が一生懸命にお祈りしていますと、神様が現れてこう言いました。
 「太吉や、太吉や、願いを聞き入れてやりましょう。明日一晩のうちに大島と串本との間へ橋を架けなさい、神様がお手伝いしてあげましょう。くれぐれも言っておきますが、一晩のうちに架けてしまわねばなりませんぞ。」
と、申されました。

 太吉は喜んで神様のお告げの通り明くる晩、大島から向かいの串本へ渡って海の上2キロメートルの間へ大きな岩の橋を架け始めました。これを見た黒潮入道はたいそう怒って海は大荒れに荒れ出しました。大雨が降って大風が吹きました。雷がゴロゴロ鳴って、稲光がピカピカ光りました。太吉は神様のお助けで、ちっとも怖がらずに海の中へ大きい岩を運んで一本二本三本と橋杭を立てていきました。だんだんと橋杭は増えていって20何本と見上げるような大きな岩が海の中へ立ちました。

橋杭岩03  さすがの黒潮入道もびっくりして、
 「どうしてお前はこんなに偉い人間なんだ。」
と尋ねました。太吉はちっとも隠さずに、
 「今晩中に島と陸との間に橋を架けます。夜が明けたら神様がお手伝いしてくださらないので、それまでにしてしまわなければなりません。」
と申しました。
 聞くなり黒潮入道はコケコッコーと一番鶏のように鳴きました。するとまだ夜中でしたが、村中の鶏は夜が明けたのかと思って皆、コケコッコーと鳴き立てました。太吉は鶏の声を聞いてびっくりしました。
 「あ、もう夜が明けたのか、神様に申し訳がない。」
と、たいそう悲しみました。そして浪の中へ飛び込んで死んでしまいました。

 正直な太吉が死んでから天へ上りました。太吉は死んだ後でも
 「神様に申し訳がない。」
と言っては時々天で泣いています。夕立は太吉の涙です。神様は太吉の涙をご覧になるとかわいそうに思われまして、
 「太吉や、さあ見てごらん! 橋はこの通りかかっている。」
とおっしゃっては美しい七色の橋を雲の中へ架けられます。虹がそれです。太吉が骨を折って海の上に立てた橋杭は、今も残っている“橋杭の立巖(たていわ)”なのです。

*** 昭和44年/串本町公民館発行 「串本町民話伝説集」より ***