御坊市・下富安にある髪長(宮子)姫像

像

「和歌山県の民話」より

髪長姫

奈良時代、ある老夫婦が九海士(くあま)と呼ばれる地域に住んでいました。
男の名は早鷹、妻の名は渚でした。
裕福でお互い愛し合っていたので、人々は羨ましく思い言いました。「あの夫婦は何の欲望もない。」
しかし、2人共40才を越えていたのに彼らには子供がいなかったのでした。
それで、渚は八幡神社へ毎日行き祈りました。「どうか神様、私達に子供を授けて下さい。」
神様がその祈りに答えてくれたかどうかは誰もわからないが、渚は女の子を産んだ。
夫婦は大変喜び、その赤ちゃんに「宮」という名前をつけた。というのは渚の祈りに八幡神社が答えてくれたと考えたからでした。
宮は彼らに大変愛され、丈夫に育ちました。しかし、彼女には髪の毛がなかったのでした。
彼女はきれいだったので、人々はしばしばこう言いました。「髪の毛が無いのは可哀想だ。」
両親は宮の頭に薬を塗ったり神に祈ったりしたが、効果は全然表れなかった。
彼女の頭をみては思い悩むばかりだった。
ある日、何かが九海士の海の底から光り始めた。
この不思議な光のため、人々は全然魚が捕れなくなった。
九海士の漁師達は行った。「多分、怪物が海にいるんだ。出来るだけ早く退治しないと、俺達は死んじまうぞ。」
誰もその光が何か確かめに行きたがらなかった、しかし渚は確かめに行こうと決心した。
彼女は考えた。「この光は私の娘に髪の毛がないからに違いない。私は生け贄として潜ろう。」
すべての人々が彼女を止めようとしたが、渚はそれを振り切り、潜って行った。
夫の早鷹やすべての村人は不安な心いっぱいで、海を見ていた。
まもなく渚は腕に何か光る物を抱えて、海面に現れた。
彼らはそれを近くまで行って見ると、観音像であると分かった。
村人達は観音は霊験あらたかなので、それを拝んだ。
それに又、魚が捕れだしたので喜んだ。
幾夜かして、観音が渚の夢の中に現れた。
観音は言った。「私はあなたのお陰で海から出て来れた。望みがあればかなえてあげよう。」
渚は言った。「何もありません。ただ娘の髪の毛が無いのが可哀想です。」
渚がそう答えるやいなや、目が覚めた。
その朝、娘の髪の毛がはえ始めた。
彼女の髪の毛は毎日生えに生えて、彼女の身長以上になった。
村人達はまもなく宮を「髪長姫」と呼び始めた。
数日後、一羽の雀が宮の抜け毛をくわえ何処かへ飛び去った。
その当時、藤原不比等という政府の高官が奈良の都に住んでいた。
ある日、彼は宮廷の屋根から一本の髪の毛がぶら下がっているのを見つけた。
彼は言った。「これは何と美しく長い髪の毛だ!!」
彼はそれから家来達を集め、その髪の毛の持ち主を捜して来るよう命令した。
その当時、美人の条件は髪の毛が長い事であった。
家来達は先ず近畿のあらゆる所へ行った、ついに九海士という地で一人の家来が宮を見つけた。
家来は宮の両親に彼が命じられた使いの理由を説明した。
両親の許しを得て、彼は宮を奈良に連れて行った。
不比等は彼女に会って大変喜んだ、そして彼女が綺麗なだけでなく、美しく長い髪の毛と美しい心を持ち合わせている事に又喜んだ。
不比等は彼女を養女にし、名も「宮子姫」と名づけた。
ある日、文武天皇が宮子姫に会い一目惚れをした。
彼女は彼と結婚し皇后になった。
しかし、彼女は両親や九海士の地や黄金観音は忘れる事がなかった。
しばらくして、彼女は男の子を産んだ。その子は聖武天皇となり、奈良の大仏や東大寺を建造させた。
皇后の記念として、彼は又、日高川沿いの彼女の生家の近くに道成寺を建てさせた。
この少し知られている道成寺伝説は、平安時代にあった現代ではもっと有名な安珍清姫伝説に取って代わられています。

◎髪長(宮子)姫像の足もとにあった由来・説明・コメント掲示板
(故有吉佐和子氏著)

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説明掲示板

【編集後記】
私ごとで恐縮ですが、このコーナーの設営には種々の「ご縁」があります。亡父の仏前に同級生の方がまいり下さり、「妻の私製テレフォンカードですが。」とお供えに頂いたのが「髪長姫」でした。その後NHKの「歴史発見」で髪長姫特集がありました。丁度、地元民話を良くAET(assistant English teacher=外人英語講師)と共訳していた時期で、和歌山県最高峰「護摩壇山」は龍神村に位置し、我々龍神村の所属郡は旧日高郡なのです(現在は市町村統合により田辺市)。水は源流に発し海に流れ込む。それと同じで日高川流域の連帯感といいますか、正に源流(出合いの河童も共訳しているし)から河口までの現在に至るまでの伝説=ストーリーには何か運命的な絆があるのだろうかとも考え、「和歌山県の民話」の本を参考にAETと翻訳に取りかかりました。その後、マスコミ特集(特にNHK)の効果は絶大なのですね。御坊市は「髪長姫祭り」を始め、そのポスターには私製テレカ作成の「山崎容子様」が祭りのポスターを描いていらっしゃいました(テレフォンカードと同じなので、多分今までに描いた絵)。この伝説のルーツをたどれば奈良時代。古代史ロマンといえるかもしれませんね。

テレカ

「髪長姫伝説」を取り上げている日高郡・印南町出身「ちゃーさん」の「日本之古言・伝説」コーナーへのリンク

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