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 今日は久々にいい天気となり、ユーマの野球練習試合のための選手輸送係り兼応援団として早朝より湯浅へ出かける。7:10集合出発となっていたが向こう(湯浅中学校)のグラウンド状態が悪いということで7:50集合出発となる。そこで少し時間ができたので、昨夜親戚の叔父の訃報を聞いていたので急いでそちらへ駆けつけた。車の駐車もそこそこに玄関で弔辞を述べ、仏様の前に案内される。そのオジサンには若いとき私もいろいろとお世話になっており息子サンとは中学校、高校と同じクラスだった。叔父さんはオン歳73才、真っ白なフトンに疲れ切った様な体で横になられた叔父さんは4人の子供を立派に育てられ、それぞれに幸せな所帯を持ち、ワシの役目はもう終わったといわんばかりにそのマブタは安らかだった。
 時間もなくなり、再度挨拶をしてから中学校に戻る。そして各車に選手全員が載りこんだのを確認後、一路『湯浅中学校』を目指す。最近は高速道路もだいぶ南下してきたため、移動は御坊からこれを利用した。フ〜、楽チン楽チン。そして事故もなく無事湯浅中学校に到着した。今回応援に参加していただいた方々は、私を含め男スィの方4名、女性は『よくしゃべるスタイルのいいMサン』をはじめ、『よくしゃべる横に大きいAサン』『よくしゃべる小人のKサン』以上の3名、計7名だった。肝心の試合結果は1勝1負。まずまずの結果となる。こことの試合は約年1回のペース、来週の中体連にむけて選手の体調を整えるのにはいい試合だった。
 試合終了後、女性の方々が「選手もお腹がすいているだろう」と近くのパン工房"kawa"でパンとジュースを購入し選手に振舞う。そして先生とはここで別れ、選手も各車に乗り込み帰路につく。が、ここでアクシデント発生。ウチのユーマがもらった『アンパン』、一口食べるとこれが『つぶあん』と来た。ユーマはこの『つぶあん』が大の苦手で、即「おとうさん、これあげる」と私の手のそばに持ってくる。「なんと贅沢なやつやな。アンパンやぞ。その昔、第二次世界大戦終盤、アメリカ連合国がヨーロッパでノルマンディー上陸作戦を激戦のうえ成功させ、日独伊同盟の戦況が僅かに悪化してきたころ、満州ハルピンの兵隊さんですらこんなアンパン…」と言いつつ、一口ガブッ…。お獵、おぉぉ令、な、なんと囹、この『つぶあん』は令令。そうなのだ。この『つぶあん』、"つなぎ"が全くない。つまり、100%固形物の『つぶあん』なのである。これには私も驚いた。アンパンは嫌いなほうではないが、ここまでダイレクトに甘納豆のごとくアンが固形化されると食す気分がうせる。だがすでに私の左手にはクッキリ歯型のついた"kawa"のアンパン、ここは父親の威厳を見せつけるべく黙って完食した。うぅ、喉つまるぅ。
 高城ジュニアバレーはこれから全国大会出場をめぐって南部と決勝だそうな。がんばってくれ高城。
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