御坊臨港鉄道から紀州鉄道へ

1.経営母体の変更
 創業以来ずっと苦難の道をあゆみ続けて来た御坊臨港鉄道も、昭和40年代後半から廃業の噂が流れるようになりました。また15日間スト等で会社は存亡の危機に瀕します。そして御坊市民の誰もが廃止を覚悟しました。ここで大きな転機が現れます。東京の「磐梯電鉄不動産会社」が発行総株数のうち21万株を取得し、同社の柏茂美社長が御坊臨港鉄道の社長に就任したのです。そして、翌年「紀州鉄道」という壮大な社名に変更します。この当時の経営状況は累積赤字3,300万円、借入金6,000万円)で、事実上約1億円で買収したのでした。買収当初はその意図が市民には全く判らず「どうするのか」「物好きな」というような声が多かったことも事実でした。

2.安定する会社経営
 紀州鉄道株式会社になってからも、経営状態は相変わらずよくないものの廃止のうわさも流れることはありません。国鉄改革→赤字ローカル線廃止と言った一連の時代の風など全く無縁のようです。

3.紀州鉄道が存続できている理由
 こんなに小さな鉄道が存続して、列車を走らせていることは日本の鉄道史における奇跡でしょう。この奇跡を可能にしているのは、鉄道事業が持つ信頼性なのでする。つまり、社名を紀州「鉄道」とすることで鉄道会社の不動産部門という位置づけとなます。「〇〇不動産」が「紀州鉄道の不動産部門」となりあたかも「東急電鉄不動産部門」と同様の位置づけを得られたのです。これにより有形・無形の信用獲得でき、本来の不動産事業ばかりでなく、観光・リゾート等の新たな部門にも有利な形で進出できているのです。(箱根の別荘地開発が有名で、紀州鉄道は会社規模として日本で4000番台をキープしている大会社です。)
 また、アメリカでは「鉄道会社のオーナー」と言うと「大リーグ球団オーナー」と並んで「アメリカンドリーム」を体現するものとして非常に尊敬されると言われています。 世の中「損得だけではない」と私は好意的に考えます。

4.紀州鉄道自体の努力
 紀州鉄道も存続のためにあらゆる努力を払っています。1989年には西御坊−日高川間の0.7kmを廃止しています。車両のワンマン化、企画記念切符の発売等の努力は同業他社に比べても非常に早くから行っています。更に、後ろ向きの合理化ばかりでなく、毎時2本の運転本数確保による利用者のつなぎ止めも経営努力として評価されたいところです。

5.最後に
 紀州鉄道が存続し、利用できるのは、紀州鉄道のお蔭である。私を含め御坊市民及び鉄道愛好家は、赤字にも係わらずに鉄道を見守ってくれる紀州鉄道経営陣の英断に非常に感謝しています。







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