参 加 各 組 の 紹 介   
 






  氏子組とその気質     


氏子は、地区毎に分かれた「組」という単位で祭に参加しています。この組の持つ地区域を地下(じげ)と呼びます。祭参加者の地下を思う気持ち(地域愛・身内意識)は相当なものとなり、それがもとで他の組との間において諍い・喧嘩が多発します。ゆえに御坊祭は別名「ケンカ祭」とも呼ばれ、過去には騒乱罪が適用されるというような大喧嘩も起きました。いまでも、機動隊が出動し警備するものものしさの中で祭が行われます。
 最近、市街地から市郊外に家を建てて移り住むというスプロール化現象が当地でも多く見られるようになりましたが、祭に関しては子供の頃から参加している御坊祭、そして古くからの知人・親戚がいる組に参加します。そして祭前や当日には郊外から20〜30分もかけて自転車で(お酒を飲む関係上)はるばるやって来るのです。これが子供や孫へと代々受け継がれればよいのですが。







以下のメニューの中から各組をクリックしてください。


上組

中組

下組

濱之瀬組

御坊組

紀小竹組

名屋組

東薗組











































上組


組印は八幡宮の「額」で奴踊りと獅子舞いを奉納します。小竹八幡社の元宮を領域に持つため御輿副(みこしぞえ)の役割を持ちます。御輿副とは、神輿の警護的役割を持ち、渡御の際には上組だけが神輿の前を行き、また宮入りにおいても常に最後に上組が入ります。言わば、祭の主役ともいえる地位にあります。そして奉納が終わると、御輿と供に一旦、芝に出てまた戻ると祭は終了します。上組が宮入りを終えて地下に戻ることは祭が終わってしまうことであり本当に物悲しくなります。
 地区の通称を椿と言い、元々八幡宮が鎮座していた地なので、当然ながら祭りも当初から参加しています。宮入を終えて屯所に帰る頃は既に真夜中(午前4時という年もあった)ですが、若衆だけでなく地区の老人・婦人・子供までもが最後まで見守り、御坊祭を盛上げます。
 因みに、私の所属する組であります。


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  中組


 組印は「盃」で奴踊りと獅子舞いを奉約します。地下(じげ=自組の地域の事)に小竹八幡神社があって宮本の権限があり、宮入りは常に一番最初に行います。
 通称を新町と言い古い文書にはすべて新町組と書かているそうです。


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  下組


組印は「雀」で雀踊りと獅子舞いを奉納します。
 通称を茶免と言い、古くからの商業と交通の要所であります。昔は土手租とも呼ばれたこともあり、地下域が日高川まであったのでしょう。下組は氏子組の中で最も戸数が少ないのですが、地区の人々の情熱が一際高く、毎年欠かさず参加しており、御坊祭を盛上げています。


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  濱之瀬組(はまのせぐみ)


 組印は「お多福」で奴踊りと獅子舞いを奉納します。
 浜之瀬組は唯一、美浜町からの参加です。小竹八幡神社の氏子である理由は、
昔、地区の人々の多くが御坊市から集団で移り住んだことに由来します。



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  御坊組


 組印は「鳥居」であるが四ツ太鼓の天幕・傘鉾等には、蛇(じゃ)が刺繍されています。獅子舞いと奴踊り、そして宿老による、けほん踊りを奉納します。
 御坊町とも言い、御坊発祥の地です。御坊という地名はは浄土真宗日高別院(日高御坊)とから来ています。なお、日高別院は今でも御坊町にあります。



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