小竹八幡神社について     

 小竹八幡神社は、旧御坊町(現在の御坊市の市街地)唯一の神社で旧御坊町及び美浜町大字浜ノ瀬の産土神として、約2万人の氏子を持つ当地きっての大神社です。
古くは一ノ鳥居が遠く日高川対岸の北塩屋地区にあり、末社49社経堂1ヶ所もあり大規模な大社であったことが歴史的に明らかになっています。
 もともと本宮所在地は、別の地(現市立体育館)にありましたが天正13年(1585)豊臣秀吉による紀州征伐の際に焼失しました。これは、当時、日高地方〜西牟婁地方を支配した湯川氏の本拠が御坊にあり、湯川氏が豊臣氏に敵対していました。神社が湯川氏の手厚い庇護を受けていたため焼かれたのでした。
 その後、延宝六年(1678)に現在の地に遷宮されました。元の宮跡は元宮と呼び今でも飛地境内となっています。また御坊市の史跡に指定されています。
 現在の小竹八幡神社の所在地は紀州藩祖、徳川頼宣公の別邸、薗(その)御殿があった所で、延宝元年(1673)に御殿が廃止になり、その跡地をゆずり受けたものです。

[祭神] 主祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)
息長足姫命(おきなかたちしひめのみこと)(神功皇后)
小竹大神(しのおおかみ=地主神)
[普段のお宮さん]  祭の日以外の小竹八幡神社はとても静かです。子供達の遊び場、また老人の憩いの場でもあり、安らぎの場として活用されています。
ここだけはいつまでも変わってほしくない場所でもあります。



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(左−普段静かな小竹八幡神社、右−元宮)