のどかな週末日記。 」  2011年5月1回目〜4回目分の休日。

タイトル[義援金の手続きはお済みですか?]
2011年5月1回目分








写真左右は東日本大震災が起こって間が無い頃の写真です。大塔村の隣町のスーパーセンターオー○ワでいつもの様にカップラーメンを買おうとしたら早くも商品が品切れ状態。他にもレトルト食品や乾パンも売り切れや品薄状態でした。緊急時の忘れてはいけない記録としてさっそく写真に残す事にしたのですが忙しい中で店員さんも快く撮影許可を頂け感謝しています。ここら辺も南海大震災が控えていますから今回の大地震については全く他人事とは思えませんね。 筆者も今回の震災後はすぐにNHK義援金(3,000円)を鮎川郵便局から送らせて頂いています。・・・と言ってもやはり筆者の出来る事と言えば微々たる資金援助と被災者の無事を祈る事ぐらいしか出来ませんでした。


タイトル[ 大震災直後の地域の様子。]
2011年5月2回目分


写真左は東日本大震災直後の隣町のスーパーオー○ワでの1コマです。普段は隅に追いやられている非常食用の「缶入り乾パン」がすごい勢いで売れています。 そんな非常時とも思える状態の中で地域の有権者を地域住民が多数決で決めるいわゆる地方総選挙が行われました。尚、選挙期間中は今回の震災の為に多くの立候補者様は演説周りを自粛なされた様子です。冷静に考えると今回の大震災期間中に有権者に立候補するって事はそれだけでもすごい事ですので、それを思うと今回の立候補者様はすごく頼もしい方々ですよね? 実際今回は立候補者が出るのかどうかが心配された程ですから立候補なされた方々はそれだけで地域住民にとってはありがたい事です。


タイトル[高台からいつもの景色を眺めて見よう。 ]
2011年5月3回目分

小雲じぃ参上!






小雲じぃじゃ。さて今日もいつもの様に高台から村を眺めてみようかのぉー。写真2枚は震災後の晴天日に原付でドライブしている時に撮った大塔村と隣町との境目の写真じゃ。 小高い場所からいつもと違う視線で境目の鉄橋を撮ると何だか新鮮な風景になるのぉー。同じ場所から鮎川方向を眺めて見るとこちらも奥行きが拡がり迫力ある風景に大変身。どこまでも続く大きな青空が大きな富田川と見事にマッチしておる。 その中で川に沿うように曲線状に道路が敷かれ大塔住民は自然と共に生活をしている事を教えてくれる1ショットになったのぉー。


タイトル[ 水辺の楽校が避難キャンプ場所になる日?。]
2011年5月4回目分


写真左は東日本大震災に被災した親戚に送った非常物資1人分(約3,500円分)です。・・・と言っても南関東在中なので今の所(4月現代)はそれほどの物的被害は無いのですけれどもね。それでも一応 1日分位しか空腹を満たせないですが避難時の足しになればと思い送りました。続いて写真右は鮎川河川敷の多目的広場「水辺の楽校」です。以前から南海大地震を警戒して自衛隊の隊員様達がこの広場を使い被災時の支援訓練をなされていた姿が付近住民の皆様方に目撃されています。 ・・・つまり大塔村と大塔村近辺の場所が大震災で被災するとこちらの「水辺の楽校」が避難基点場所の1つになるかも知れないと言う事です。・・・もしもの時に備えて一応憶えておくのも良いかも知れませんね。(尚、当記事内容の一部は仮定の想像に過ぎず確固とした裏付けはありませんので各個人の責任で記事を読んで判断して下さい。 又、当サイトは大塔住民の一個人の趣味サイトであり公的な影響力を持つと社会的に認知された報道機関ではありませんので合わせてご了承下さいませ。)


「1ページ前に戻っちゃいます。」


Copyright (c) 2011 shinnosukenohomupe nodokanainakagurashi All Rights Reserved