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熊野古道マップ

写真:有間皇子結び松記念碑

有間皇子結び松記念碑

斉明4年(658)、孝徳天皇の皇子 有間皇子が、蘇我赤兄の甘言で謀反の罪に問われ、斉明天皇と中大兄皇子の旅先の紀の湯(白浜湯崎温泉)に護送される途次、岩代で松の枝を引き結んで、

磐代の浜松が枝を引き結び
真幸くあらばまた還り見む

家にあらば笥に盛る飯を草枕
旅にしあれば椎の葉に盛る(万葉集)

と歌を詠み、岩代の神に自分の平安の無事を祈りました。しかし、皇子は帰途、藤白坂でわずか19歳の若さで絞り首にされました。岩代の地はその後、熊野街道の名所となり、皇子を偲んだ歌が150余の歌集に約200首収められています。

写真:西岩代八幡神社

西岩代八幡神社

西岩代八幡神社の回舞台(長床)は、県指定無形文化財の子踊りを祭礼の時に奉納する舞台であり、以前は青年たちや旅役者の芝居も上演する舞台でもありました。 桁行7間、梁間4間の大きな建造物で、明治15年に再建された県下最古の回舞台のある長床です。

写真:東岩代八幡神社

東岩代八幡神社

東岩代八幡神社には、町内でいちばんの大木・町指定文化財 大楠がそびえ立っています。 10月の秋祭り(「体育の日」の前日の日曜日に開催) には西岩代八幡神社とともに児童の子踊りが行われます。

写真:岩代王子

岩代王子

岩代の地は古く万葉時代から大宮人に知られ、この地を通る人々は岩代の神に敬虔な祈りを捧げました。
岩代王子は、熊野飛龍権現を主神とした神社でした。古今和歌集には、「いわしろの神はしるらむしるべせよ頼む憂世の夢の行末」と詠まれており、和歌や名前を奉納する社であったと伝えられています。

このようなことからか、岩代王子社は熊野九十九王子社のなかでも、最も早くから知られた有名な王子社です。
明治41年に神社合祀された際、関わった人すべてが病に冒されてしまった為、ご神体を旧社に戻し、合祀されるのを免れた王子であると云われています。
また、ここからは大海原を背景に続く美しい砂浜を望む事が出来、千里王子へと繋がっています。

写真:千里王子

千里王子

桓武天皇の廷暦年問(782~806)に鎮座したと伝えられ、熊野九十九王子の一社として栄えました。古代から中世にかけて花山法皇、後鳥羽上皇など歴代上皇や責族が、近世では紀伊藩主や田辺領主をはじめとした多くの人々が当社に参詣されています。

明治初年、神仏分離令によって、王子社の本地仏の如意輪観音と、小栗判官が如意輪観音に暴風雨の災難を救っていただいた御礼に奉納した馬頭観音を分離し祀ったのが千里観音堂で、厄除け観音としても知られています。

現在の本殿は安永5年(1776)に再建されたもので、熊野九十九王子社の本殿の中でも、切目(きりめ)、三鍋(みなべ)王子社と共に古い建造物です。

写真:千里の浜

千里の浜

古代では、岩代から目津崎までの浜を岩代の浜・千里の浜と呼び、熊野詣の大宮人がはじめて海浜を通るところで、その喜びは大変なことだったと考えられます。したがって、伊勢物語、枕草子、大鏡、新古今和歌集など多くの文献に千里の浜のことが記されています。

また、千里の浜はアカウミガメの産卵地としても名高く、毎年5月下旬~8月上旬にかけてたくさんのアカウミガメが産卵のために上陸します。最近、全国的に上陸数が減少しており、千里の浜もその例にもれませんが、それでもその数は本州一を誇ります

写真:南部峠の地蔵像

南部峠の地蔵像

国道42号から約100メートル、千里王子方面へいった峠が南部峠で、熊野古道の要地で、峠を往来する人々はこの地蔵にお祈りを捧げました。この地蔵は町内では古く、大きな石造の地蔵で、骨つぎに霊験あらたかであると伝えられています。

写真:丹河地蔵の銀杏

丹河地蔵の銀杏

樹齢およそ300年の、町内ただ一株のイチョウの木です。東岩代八幡神社の大楠に次いで太い樹木で、幹周は胸高で4.2メートル、高さ約25メートルに達し、現在も生育盛んで、たくさんのギンナン(実)をつけます。昭和49年に県指定名勝天然記念物に指定されました。

写真:三鍋王子

三鍋王子

熊野九十九王子社の一社で、建仁元年(1201)、後鳥羽上皇が当社に参詣の砌りに、絹6疋・綿150両・馬3疋を奉納したほどの大社で、明治10年に須賀神社に合祀されるまで南部三社の一つと称せられていました。(鹿島神社の本殿は三鍋王子社の本殿であったもので、18世紀中期の貴重な建造物です)

なお、当社の地下は弥生中期の遺跡であり、境内には鎌倉時代の板碑、小栗判官が水を飲んだという小栗井戸があり、約50メートル東方からは桃山時代の地鎮具が出土しています。

写真:鹿島神社

鹿島神社

当地はもと、みなべ町の沖合いに浮かぶ鹿島の鹿島神社の拝殿の地で、明治10年(1877)、三鍋王子社の本殿を移築しました。建築様式は春日造りで、18世紀中期(江戸時代中後期)の建造物です。

拝殿前のヤマモモは、昭和8年に県の天然記念物に指定され、当時は幹周4.4メートルもありました(現在は町指定)。その後、主幹が枯死し、枝木が現在のように成長しています。

「三名部(みなべ)の浦塩な満そね鹿島なる釣する海人を見てかへりこむ」(万葉集)

これは、大宝元年(701)、文武天皇の一行が紀の湯(白浜湯崎温泉)に旅行されたときの歌です。

鹿島は、国民宿舎紀州路みなべから約500メートル海上にある周囲約1.5キロメートルの島で、古来より鎮座する鹿島神社をはじめ、竜ノ口観音、戦勝観音などがあり、島全体には亜熱帯植物など樹木鬱蒼と繁り景勝も見事であり、県立自然公園第1種特別地域に指定されています。北島にある宝篋印塔は、平敦盛の冥福を祈るため、弥平兵衛宗清が建立したと伝えられています。

なお、この万葉歌の石碑が国民宿舎紀州路みなべに建立されています。

三鍋王子 丹河地蔵の銀杏 南部峠の地蔵像 千里の浜 千里王子 岩代王子 東岩代八幡神社 西岩代八幡神社 有間皇子結び松記念碑

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