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* 2002年4月以降のサイト更新の概要を記録しています。一応日付順にしてありますが、作業開始からウェブ上での公開までに幅があり、厳密を期してはいません。
* コンテンツ面 (purple) と技術面 (navy) とで、日付の色を分けています(この部分 (<dt> 要素) に CSS で指定した文字色を表示しないブラウザでは無意味ですが)。
雄松堂書店ウェブサイトにて、「ゲスナー賞授賞式」(雄松堂書店広報誌『Net Pinus』62号掲載)が公開されました。記事中の受賞者コメントから、当サイトへリンクをしていただいています。同賞については、本ページ12月3日の項をご参照下さい。
南方熊楠ゼミナール案内の英語ページ更新が遅れていたのを、補いました。また、リンクミスなどを修正しました。
サイト全体にわたって、夏以降の更新で、当サイト英語ページの追加・修正の遅れがたまっています。これらは少しずつ補っていく予定です。
『國文學』(学燈社)の南方熊楠特集号「ナチュラルヒストリーの文体」(平成17年8月号)の案内ページに、購入案内と学燈社営業部の連絡先を追記しました。
本特集は、現在も最寄りの書店経由で取り寄せ購入が出来ます。お近くに書店がないなど取り寄せが難しい場合は、学燈社より直接購入も可能とのことですので、お問い合わせ下さい。
「関連書籍紹介」のページに、橋爪博幸『南方熊楠と「事の学」』(鳥影社)刊行案内を掲載しました。本書は、京都大学大学院人間・環境学研究科に提出された博士論文を基としたものです。
産経新聞「読書」覧で、「第4回ゲスナー賞」が報道されていました(4日付)。この記事のことを、当ページ中12月3日の「ゲスナー賞」授賞式の記事にも追記しました。
『南方熊楠邸資料目録』訂正などのページに、追加資料一件(抜刷、清野謙次「阿伝陰部考」)と誤植訂正一件を追加しました。
昨12月2日、パシフィコ横浜にて、「ゲスナー賞」(雄松堂書店主催、11月16日の項参照)の授賞式が行われました。主催者より賞状・盾と副賞賞金が当会を含む受賞者に授与され、選考委員三氏(紀田順一郎、高宮利行、林望各氏)より選評をいただきました(林委員は書面にて)。その中では、金賞受賞の『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(長崎市)、銀賞の『あるサラリーマン・コレクションの軌跡 〜戦後日本美術の場所〜』(山口県周南市)、そして私どもの南方邸蔵書・資料目録(和歌山県田辺市)と、目録・索引部門では地方発信の業績が期せずして並んだことなどが興味深く指摘されました(入賞作品の『江戸川乱歩著書目録』(江戸川乱歩リファレンスブック3、三重県名張市)も、これに付け加えてよいかも知れません)。
金賞の『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(近代印刷活字文化保存会刊)をはじめ、他の受賞・入賞作品とも、長い時間をかけて仕上げられた、労多き力作ばかりで、省みれば南方邸資料の調査・研究がまだその端緒に付いたばかりの(目録刊行までに、すでに十数年を費やしてなお!)わたくしどもとしては、いささか忸怩たる思いもいたします。
幸い、来春には「南方熊楠顕彰館」が発足し、両『目録』を基礎とした、南方邸資料の研究者への公開に展望が開けています。この受賞を励みに、今後とも活発に活動を続けていきたいと思います。ご支援・ご協力をいただけますよう、改めましてお願い申し上げます。
12. 6 追記:産経新聞「読書」覧の報道「第4回ゲスナー賞」12月4日)
12.27 追記:「ゲスナー賞授賞式」(雄松堂書店広報誌『Net Pinus』62号掲載)
「南方熊楠顕彰会のご案内」のページに、顕彰会事務局の新しい住所(南方熊楠顕彰館内)と、顕彰会刊行物の会員優待割引の詳細を追加しました。顕彰館内の事務局は、先々週引っ越しが行われたばかりです。
「関連書籍紹介」のページに、近日発売予定の『南方熊楠の森』(方丈堂)刊行案内を掲載しました。本書は、昨年夏に龍谷大学で行われた特別展「南方熊楠の森」に基づいて企画されたもので、会場で上映されたビデオなど視聴覚資料多数を収録した CD-ROM が附録となっています。ご期待下さい。
「南方熊楠顕彰会のご案内」を掲載しました。本会は、私どもの南方邸蔵書・資料調査の実施母体だった旧南方熊楠邸保存顕彰会が、来年度の南方熊楠顕彰館開館の準備として、本年4月に名称変更したものです。当ウェブの管理上の事情から、ご案内掲載が遅れておりました。
会員には各種特典もあります。是非ご入会下さい。
「関連書籍紹介」のページに、12月15日発売予定の『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』(集英社)刊行案内を掲載しました。熊楠の英文著作を日本語に翻訳・紹介する画期的出版です。ご期待下さい。
11月28日追記:画面背景に、熊楠自筆資料の写真二点を(うっすらと)追加しました。ロンドンのパブにいる自画像(左)と、「日本における食人の記録」原稿(右)で、本書装幀に用いたものです。
ほぼ同時期の刊行となる『南方熊楠の森』(方丈堂)も、刊行案内を近日掲載の予定です。
当研究会編集の『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』のゲスナー賞受賞が先週発表になりましたので、当サイトでもご紹介させていただきました。
参考:「ゲスナー賞」(ゲスナー賞について)
12. 3 追記:昨日、同賞授賞式が行われました。12月3日の項に、その日の模様などを掲載しました。
来る11月13日に、第五回南方熊楠ゼミナールが開催されます。今回は、南方熊楠記念館(和歌山県白浜町)の開館40周年を記念して、同館と南方熊楠顕彰会(田辺市)との共催で行われます。前日の11月12日に行われる南方をたずねてと併せてご案内を掲載しましたので、ご覧下さい。
『南方熊楠邸蔵書目録』訂正などのページに、和古書一件(『奇異雑談集』筆写者名)を追記しました。
近日中に、別置されていた熊楠旧蔵書若干の追補をします。
大阪・豊中市と名古屋でこの秋、南方熊楠に関する市民講座が予定されています。「調査以外の会合・研究活動」のページで内容案内を掲載しましたので、お近くの方はどうぞご覧下さい。
トップページのカウンタが、昨日午前11時半頃から動作しなくなっていました。今日午前10時頃に状況を把握し、対処しましたが、累積ページビューの数値ファイルが失われ、また動作しなかった間のアクセス記録がされていません。とりあえず、昨日最後にアクセスが記録された時点での、過去3ヶ月のアクセス記録を数えて、暫定的に新しい数値ファイルを設置しています。
いつのまにかデータ総量が quota による制限を越えていたため、CGI によるアクセスカウンタが、アクセス数を記録する数値ファイルをディスクに作れなくなっていたようです(とほほ)。累積アクセスが100000に達した 5月4日の記事にしたがい、この日午後以降のアクセス総数を100000に加えて、あらたなアクセス数初期値としました。それ以前のアクセス状況からみて、100件強のアクセスが未記録になったと思われます(とほほ)。
『國文學』(学燈社)の南方熊楠特集号「ナチュラルヒストリーの文体」(平成17年8月号)の見本刷りが完成しました。まもなく取り次ぎを通じて配本となります。楽しみにお待ち下さい。
同号の「南方熊楠特集」の目次を掲載しました。
緊急のお知らせ その1:雑誌『國文學』(学燈社)の南方熊楠特集号「ナチュラルヒストリーの文体」(平成17年8月号)が、7月11日に発売となります(本誌は毎月10日発売ですが、今月は11日月曜の発売となります)。
当サイトは、下記(5月15日記事)のような事情で新記事掲載をいったん停止したのですが、新しいサイトを直ちに開設する体制にまだなっておりませんので、このサイトにてお知らせをさせていただきます。
緊急のお知らせ その2:このほかにも、南方熊楠関連の新情報は、新サイト開設をまたずに常時増えています。他方、田辺市・南方熊楠顕彰会による新サイトの発足は、技術的な事情から今しばらく時間を要する見込みです。そのため、当サイトの「メインテナンス・モード」入りは一時とりやめ、7月以降当面の間は、引き続き当「旧・南方熊楠資料研究会」サイトにて南方熊楠関連情報をお伝えさせていただくことといたします。
5月10日から13日まで、南方邸目録作成チームのうち資料班のメンバーが南方邸入りし、目録データの通りに資料が存在していることを最終確認する作業を行いました。
田辺市教育委員会と邸管理人の橋本さんにも多大な協力を得、作業は大過なく終了しました。同じ確認作業は、蔵書に関してはすでに昨年夏に行われており、今回の作業によって、当会の編集した二冊の目録(『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』)に掲載された邸所蔵資料すべてについての作業が終了したことになります。
南方邸の膨大な資料についての調査・研究は、さまざまな形でこれからも行われますが、当研究会の任務は、その基本部分をこれにて完了いたしました。十余年にわたる調査にご協力・ご支援をいただいたすべてのみなさまに、厚く御礼申し上げます。
これにともない、当サイトの「南方熊楠資料研究会について」のページに、「南方熊楠資料研究会の終了について」の節を追加しました。
当サイトは、これ以降「メインテナンス・モード」となる予定です。田辺市の「南方熊楠顕彰館」を核とする今後の南方熊楠研究事業については、近い将来インターネット上の別の場所で、改めて情報開示活動を始めたいと考えています。しかし、具体的な細部がまだ未定なので(というか、次の準備を並行して進めるゆとりが管理者にまったくありませんでした―これは言い訳ですが)、ひょっとするともうしばらくの間、多少の広報活動がこのサイトで行われるかも知れません。また、メイルアドレスは、当分の間運用を続けます。
2005. 7. 1 追記:メインテナンス・モード入りは一時とりやめとなりました。7月1日付の項をご覧下さい。
『南方熊楠を知る事典』のページで、中瀬喜陽執筆項目のうち公開が遅れていた「第二章 南方熊楠をめぐる人名目録」の章中の記事を追加掲載しました。
今日午前、サイトのトップページのカウンタが 100000の大台に到達しました。アクセスカウンタを設置したのは2002年4月ですが、2000年4月のウェブサイト開設から5年が立ち、当研究会の目標だった『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』の刊行をちょうど終えたところで、アクセス数の上でも節目を迎えることになりました。
本サイトはこれまで、両『目録』のための南方邸資料調査の状況報告を主な目的として制作・維持され、これに加えて、並行して進められた邸資料研究成果の披露、邸資料調査以外の研究活動の報告なども行ってきました。今般、両『目録』の刊行によって南方邸資料の調査・目録作成を行う実行組織としての「南方熊楠資料研究会」が終了するのと時を同じくして、調査実施母体であった「南方熊楠邸保存顕彰会」も、田辺市が来年4月に発足させる「南方熊楠顕彰館」の運営を目的とする「南方熊楠顕彰会」に組織替えされることとなりました。これに伴って、南方邸資料についての調査・研究活動も、今後は未刊行資料の内容調査・翻刻に大きく比重を移すことになります。
南方熊楠資料研究会が終了し、南方邸資料の学術調査事業が、体制・内容とも変成替えとなることに伴って、本サイトの公開体制も、近日中に変更となる見込みです。これまでに公開してきたすべての文章・情報は、原則として引き続きウェブ上で開示しつつ、今後の新しい情報は、これまでのコンテンツと区別がつくかたちで、逐次開示していく体制をとりたいと考えています。
当面は、旧「南方熊楠邸保存顕彰会」からの委嘱と支援を受けて邸資料の翻読をこれまで進めてきた、南方熊楠翻字の会(東京・田辺)および熊楠関西の三研究会が、新「南方熊楠顕彰会」との協力の下に、継続して南方邸内外の資料調査・研究を行います。今後とも、私どもの南方資料調査にご支援をいただけますよう、お願い申し上げます。
* 『熊楠研究』第七号に掲載された、「南方熊楠資料研究会の終了について」を掲載しました。
『南方熊楠を知る事典』のページに、「水原尭栄」の項目(曽我部俊海執筆)を掲載しました。
『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』の総項目数一覧と、これまでに分かっている訂正一覧などを掲載するページを公開しました。
この両ページは、誤記・誤植などが判明し次第、随時更新されます。
発送の始まっている『南方熊楠邸資料目録』について、紀伊民報の26日付紙面(夕刊紙のため発刊は前日)で報道していただきました。
『熊楠研究』第七号が配本となったので、目次のページに掲載していた表紙写真を、印刷用データから、雑誌本体からスキャニングした画像に差し替えました。
『南方熊楠邸資料目録』は、先週取り急ぎ納品となった一部部数が、16日の南方熊楠賞授賞式で披露されましたが、全体の製本・納品が今週始めに完了し、研究機関などへの寄贈分が、本日発送となりました。昨年刊行の『南方熊楠邸蔵書目録』とともに、南方邸所蔵熊楠資料の全貌を伝える基礎資料となります。広く南方熊楠研究者・愛読者のみなさまにご活用いただけることを、編集者一同願っております。
本『南方熊楠邸資料目録』は、南方熊楠顕彰会(旧称:南方熊楠邸保存顕彰会)より、ご希望の方にも実費にて頒布されます。頒布価格は 5,500円、一冊の場合の送料は、冊子小包で 450円となります。
2005. 5. 3 追記: 刊行元の「南方熊楠顕彰会」では、一般会員を募集中です。本目録を含む顕彰会刊行物は、会員には一割引で頒布されます。
『熊楠研究』第七号が発送となりました。お待たせいたしました。
頒布価格は、既刊各号と同じく2,800円と決まりました。一冊の場合の送料は、冊子小包で290円となる見込みです。
『南方熊楠を知る事典』および『長谷川興蔵集 南方熊楠が撃つもの』所収の、「三好太郎」(アナーバーでの留学仲間)の項目(長谷川興蔵執筆)の後半には、三好の姓が後年変わったことについて言及があります。これに関して、『南方熊楠邸資料目録』の編集過程で原資料(熊楠日記および南方邸に現存する来簡)を検討した結果、姓の読みが「会田(會田)」と改まっていますので(図書刊行時は「倉田」とされていました)、当ウェブの掲載記事でも該当箇所(一箇所)を訂正し、その旨のウェブ管理者付記を掲載しました。
【お知らせ】来る4月17日(日)の午前8時から午後6時までの間、プロバイダの設備定期点検が行われます。当日は非常用施設により運営されるため、一時的にウェブサーバが停止される場合があります。
というお知らせを、トップページに掲載しました。
2005. 4.17 追記: 長時間のウェブサービス停止もなく、無事終了したようです。
『熊楠研究』第七号のページに、裏表紙と三章扉につかった熊楠の絵(日記帳余白から)を掲載しました。
花札「11月―道風」になぞらえた自画像(1886年)と、ムカデ観察図(1922年)で、どちらも今回の掲載記事と直接の関係はありませんが、「未公刊英文論文草稿」中の「Japanese Playing Cards 解説」と、「1919年日記」中の8月30日の項(やはりムカデ観察をし、日記帳うしろの余白に図を描いている)に、それぞれ親近性がある図なので、選びました。
『熊楠研究』第七号目次(英語)のページに、内容案内(英語)を追加しました。
『熊楠研究』第七号は、本日最終校了となりました。来週中に製本、再来週には発送の見込みです。ご愛読のみなさまには、お待たせしたことをお詫び致します。
『熊楠研究』第七号は、昨日最後の赤字を印刷所戻しとし、近日校了となります。目次のページに、「内容案内」を掲載しました。
南方邸調査風景中、昨年6月の着工前の南方熊楠研究所(仮称)予定地のページに、この予定地(現在は着々と「南方熊楠顕彰館」建設が進行中)から新庄総合公園へ移植されたアンズの木の開花を伝える紀伊民報紙記事(3月26日付)へのリンクを追加しました。
「田辺−水上−妹尾−高野菌類紀行」中の「西ノ河原生林から護摩壇山へ」のページからリンクしていた、和歌山県による「鳥獣保護区の指定」の uri が、今年四月からまた変更になったようなので、リンクを訂正しました。 一年前にも、ディレクトリ名だけの変更があったようです。パーキンソンの法則ですね。
『南方熊楠を知る事典』中、福本日南の項目について誤記のご指摘をいただき、訂正しました。
福本は、『九州日報』紙の社長兼主筆を務めたとのことですが、単行本ではこれが「九州日々新聞」の「社主」となっていたので、本ウェブにて訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました。
また、『熊楠研究』第七号の表紙装幀がほぼ決定していますので、目次のページに装幀案画像を掲載しました。
一部で存在が伝えられていた、美術商プリンス片岡の筆になるというフランクス卿宛熊楠紹介状が、英国博物館内で発見された。この紹介状は、1893年9月、英科学誌『ネイチャー』に熊楠が初めて投稿した論文「極東の星座」の校正刷を見て貰うため、同博物館部長職にあった同卿の許を熊楠が訪れた際に携えて行ったとされるもので、これまでは「クマグスの研究の中でも蘚苔・藻・地衣・菌・粘菌は殊にすぐれ、かつて科学雑誌『ネーチュア』に発見した新種、ピトフォラ=エドゴニア=ヴォーシュリオイデスならびにグァレクタ=クバーナを発表したることあり」という内容が日本語で伝えられていただけで、原資料が確認されずにいた。その内容については、淡水産緑藻 Pithophora Oedogonia vaucherioides は既知種で、熊楠がその日本での存在を確認したのは帰国後の1901年、『ネイチャー』誌に報告したのは1902年であること、またキューバ滞在中に熊楠が採集した未知の地衣類 Gyalecta cubana の新種認定・命名と記載報告は1892年にニランデルが行っており、熊楠がこの地衣類のことを自身報告した『ネイチャー』誌記事は今日まで知られていないこと、そもそも同誌に初めて投稿した論文のゲラ刷を見て貰うための紹介状になぜこうした記述があるのか、といった疑問点が指摘されていたが、今回の原資料発見によりそれら疑問の解消が期待される。
京都・栂尾の高山寺は、熊楠の畏友で後に高野山管長を勤めた土宜法龍が住職をしていたことのある寺ですが、ここで先日熊楠から法龍に宛てられた書簡38通が新たに見つかり、本日そのことが記者会見で発表されました。
「南方熊楠の書簡38通、京都・高山寺で見つかる」(日本経済新聞、3月31日付 [掲載終了])なお、この記事では、土宜法龍の姓の読みを「どぎ」としています。この点については、『南方熊楠を知る事典』「土宜法龍」の項の「ウェブ管理者付記」もご覧下さい。
日経紙同記事〔写真ニュース〕 (2005. 4. 2 追加) [掲載終了]
* 以下は 2005. 4. 1 追加
「南方熊楠の手紙、高山寺で発見 思索の過程、解明の手がかりに」(京都新聞、4月1日付、写真入り) [掲載終了]
「熊楠の書簡38通、高山寺で見つかる」(読売新聞大阪本社、4月1日付、写真入り [掲載終了])
「高山寺:南方熊楠の書簡38通を発見、思想形成知る一級品―京都」(毎日新聞大阪朝刊、4月1日付、写真入り [掲載終了])
「「南方マンダラ」たどる書簡38通 京都の寺で発見」(朝日新聞関西版、4月1日付 [掲載終了])
この土宜法龍宛新出書簡は、日本学術振興会科学研究費「南方熊楠草稿資料の公刊および関連資料の総合的研究」(基盤研究A 16202002)による研究会などの場で、内容の調査と翻刻が進められることになっています。
2005. 4. 2 付記: 今回の発見があった、土宜法龍ゆかりの栂尾山高山寺は、京都市右京区にある名刹で、「鳥獣戯画」をはじめきわめて重要な文化財多数を所蔵することでも知られています。他方和歌山県田辺市の高山寺は、熊楠と家族の墓所で、江戸中期の画家長沢蘆雪が滞在・制作したことなどでも知られていますが、このふたつは別のお寺です。念のため。
2005. 4. 6 追記: 毎日新聞「都道府県ニュース」で、多少踏み込んだ記事が掲載されていました。
「追跡京都2005:南方熊楠の書簡、大量発見 曼陀羅に独自の世界観」 [掲載終了]
2005. 4. 7 追記: 龍谷大学サイトの記事、写真多数
「『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』のご案内」でもお知らせしている『南方熊楠邸資料目録』は、本日夕刻最終校了となりました。四月半ば頃までには、印刷・製本が完了する見込みです。価格・購入申し込みご案内なども、近日中に掲載いたします。
4月16日に田辺市で行われる「南方熊楠賞」授賞式に間に合わせるために日程が厳しくなり、昨日より田辺市での出張校正を行っての校了となりました。
『熊楠研究』第七号の校了は、来週前半にずれ込む気配です。配本まで、今しばらくお待ち下さい。
『南方熊楠を知る事典』のページで、牧田健史執筆項目を掲載しました。
『熊楠研究』第七号に掲載予定の、『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』のご案内を、先行して掲載しました。
『熊楠研究』第七号の編集会議が昨日行われ、掲載予定記事と目次が決定されましたので、当サイトの『熊楠研究』のページに掲載しました。
『南方熊楠邸資料目録』、『熊楠研究』第七号とも、三月末刊行を目指してぎりぎりの作業を進めています。校正日程にゆとりがないことのしわ寄せで、当ウェブの維持が出来ていません。たいへん恐縮ですが、両刊行物の発刊まで、今暫くお待ち下さい。
表紙ページに見出しをだしていた、「更新履歴」中の記事へのリンクが、年次が変わったのを反映していなかったためにリンク切れとなっていたので、「2004年の更新履歴」ページへのリンクに訂正しました。一月以来、この種の手違いが多く、恥ずかしい限りです。
なお、『南方熊楠邸資料目録』は現在再校待ち、『熊楠研究』第七号は再校をおおむね印刷所戻しとしたところです。
まだ存在しない、『熊楠研究』第七号「編集後記」のページへのアクセスなども、既に数件あるようです。
当「南方熊楠資料研究会」による南方熊楠旧邸資料の学術調査を進める母体でもあった「南方熊楠邸保存顕彰会」は、田辺市による南方熊楠顕彰事業全般の推進基盤として昭和62年以来活動してきました。来年四月に、田辺市によって「南方熊楠顕彰館」が設立されるのに先立って、この「顕彰会」は、「顕彰館」の存在を前提とする新体制に衣替えすることとなり、去る二月二十八日の総会で新体制が正式決定したそうです。
紀伊民報による報道:「南方熊楠顕彰会が新体制 会員募り交流に重点」(平成17年3月2日付)
なお、熊楠事業関係ではありませんが、同紙のコラム欄には、こんな興味深い提言もありました。「アーカイブスへの提案」(コラム「水鉄砲」平成17年2月17日付)
「顕彰館」への道−平成17年1月まで」のページに昨日追加掲載した、昨年12月時点の写真にリンクミスがあったのを訂正しました。単純に、画像ファイルをアップロードし落としていました。失礼しました。
昨日公開した「顕彰館」への道−平成17年1月」のページに、昨年12月時点の写真を追加しました。2. 9 追記:これにともない、題名を「顕彰館」への道−平成17年1月まで」としました。
南方邸調査風景のページで、「顕彰館」への道−平成17年1月」の写真を掲載しました。
1月に資料の状態調査で邸入りした、保全・修復技術チームの集合写真も併せて掲載しています。
今日午前、サイトのトップページのカウンタが 90000に達しました。今年中に、100000 の大台に乗りそうな勢いです。
南方邸資料目録、『熊楠研究』7号とも、現在アップアップの状態で作業中ですが、三月にはなんとか刊行にこぎ着けたいと思います。
この「更新履歴」のページの日付がみな2004年になっていたのを訂正しました。新年早々失礼いたしました。
* 昨年中の予定だった目録入稿がすむまで、年越しになりませんでした。汗顔の至りです。
『南方熊楠邸資料目録』は、昨日までに印刷所原稿渡しとなりました。三月末日の刊行を目指しています。
『熊楠研究』第7号も、今月中に印刷所渡しとなる予定です。こちらも、楽しみにお待ち下さい。
「熊楠の変形菌標本観察図」の英語版を公開しました。
「熊楠の変形菌標本観察図」中の熊楠の書き入れ注記の内容を紹介するページを作成しました。
また、解説文を(準備中の英語版との関係で)若干改訂しました。
「熊楠の変形菌標本観察図」の解説ページに、「粘菌」および「変形菌」という用語についての注記を追記しました。
ウェブ表紙ページにあらたに掲載した、「熊楠の変形菌標本観察図」の解説ページを公開しました。
ウェブ表紙ページの写真を、「熊楠の変形菌標本観察図」にしました。
これまでの「熊楠筆写庚申三猿図」は、解説のページで引き続き御覧いただけます。
新年おめでとうございます。昨年の「南方邸蔵書目録」に続いて、今年三月には、今日残されている熊楠の自筆資料類の全体像を伝える「南方邸資料目録」が刊行の予定です。私ども南方熊楠資料研究会は、この両「目録」の刊行によって、所期の目的を達成することになります。これら「目録」に掲載されている膨大な田辺市所蔵熊楠資料の調査・研究という大きな仕事は、今後田辺市の設立する「南方熊楠顕彰館」(平成18年開館予定)を拠点として進められることになり、私ども研究会参加者も、この新たな態勢の下、田辺市と協力して、それぞれの熊楠研究を続けてまいります。私どもの取り組みに今後ともご支援をお寄せいただけますよう、お願い申し上げます。
© 南方熊楠資料研究会 The Association of Minakata Kumagusu Archives