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《ミナカタ通信5号 (1996. 9.20) より》

[書評] 『天才の誕生・あるいは南方熊楠の人間学』

近藤俊文著 岩波書店 1996年刊行

安田忠典  

1 熊楠の謎

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 南方熊楠、今までに多くの研究者がこの巨人に魅せられ、さまざまな角度から分析のメスがいれられてきた。しかし、かれの残した仕事が発掘され、その生涯が明らかになればなるほど、いくつかの「謎」がわれわれの前に大きくたちはだかり、巨人を伝説の霧の中に隠してしまう。いわく、「南方には論理がない」のはなぜか。(p1)「かれはなぜ一生、やみがたく漂泊の想いに駆られたのか。なぜ、難渋な日本語論文や書簡と、端正で了解しやすい英語論文を書きわけたのか。なぜ、奇怪な柳田との決別があったのか。大切な学問の芽をおのれ自身でつんでしまうことを知りながら、なぜ大英博物館で英人を殴打したのか。なぜ、大学を卒業せず、生涯定職につかなかったのか。なぜ、あたかも渇酒狂のように飲酒に耽溺したのか。なぜ、つねに夢や幻について語ってやまなかったのか。」(p5)

 いずれも南方熊楠という存在の根幹に関わる大きな謎であるにもかかわらず、現在まで解明されたとは言いがたかった。考えてみると、熊楠の謎の行動については、その経過や前後の状況等は子細に検討されていても、かれの内面に光をあてる作業は、まるで触れてはいけないものであるかのように、ほとんど行われてこなかったような気がする。

 本書は、医師である著者が「人間学」という耳新しいメスを携えて、熊楠の内面にわけいり、これらの「謎」解きに挑んだ、たいへん興味深い1冊である。

2 熊楠解剖

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 さて、著者のいう人間学とは、「主体の自我の存在構造、その精神と行動の総体としての人間存在を対象とする人間探求のあり方で、全的な人問把握をめざすものであるが、つぎのような点に力点をおくものと定義しよう。すなわち基本的には、人間という存在を社会的存在として把握するだけでなく、生物学的存在としてもとらえ、とりわけ、主体と環界との相互作用の動的機序によってもたらされる、精神や情動の力動や、行動様式のゆらぎを追求するものであると。」(p5〜6)具体的には心理学、精神分析学、精神病理学、自然科学的認識論といった「メス」をもちいて、熊楠の人格の構造の真実を「解剖」しようとするものであるらしい。実際に読み進めてゆくと、むつかしい専門用語にすこし腰がひけるが、的確な材料の選択や絶妙なメスさばきは、熟練の外科医のオペを見るかのようである。手術台にのせられたわれらが南方先生は、いろいろな道具で解体されてゆき、南方ファンにとっては、目をそむけたくなるような光景がくりひろげられる。「狂人にならないための、収集のための収集」(p34)、「過剰書字」「書漏」(p57)、「柳田のようにロジックをさきにたて、透明で了解しやすい構造の論文を和文でかく能力を、成年後の熊楠は欠いていたといわざるをえない。」(p79)、「迂遠、冗長、逸脱を属性とする内的観念連鎖の錯綜する、瑣事拘泥的で執着的なあの人格の構造が、頑として、存在していた。」(p79-80)、「周期的不機嫌症とよばれる精神病理学的状態」(p100)、「病的な過剰憤怒」(p104)、「まさしくこれは、夢様状態 dreamy state とよばれる病的体験のさいに見られるパノラマ様記憶、フラッシュバック現象そのものではなかったのか。」(p133)、「夢中遊行類似の病的体験」(p109)等々、熊楠の闇の部分がつぎつぎにとりだされてゆく。

 その結果、著者の下した診断は、「ゲシュヴィント症候群」というこれらの特徴的な行動の偏奇をともなう「側頭葉てんかん」(p185)であった。日記の記述等からも熊楠がてんかんであったことは知られている。しかし、私を含めて、多くの読者は、痙撃現象等の発作以外にてんかんについて知っていることはごくわずかだったのではないだろうか。ましてや、東大予備門中退の直接の原因であったといわれるこの病気に、熊楠という希有な天才の誕生をうながす力が存在していようとは!

 このあたり、本文では、さすがに詳しく解説されており、今後の熊楠研究において欠くべからざる文献となると思われる。

3 予言者熊楠

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 著者もおそらくは熱烈な南方ファンの一員であるとおもわれるのに、冷静に、客観的な科学者の視点を崩すことなく解剖を進めてゆく。だが、それでもなお、熊楠の残したあまりにも鋭い自己観察の記録に幾度も驚倒させられてしまう。一例をひくと『「この天才ということ自慢のように聞こゆるが、実はアラヤ識が高昂せるにて、近来天才を狂人の一種と論ずる学者多し、故に小生決して自慢にあらず、実事を申しあぐるなり。」自分は狂人の一種すなわち天才なのだが、けっして自慢しているのではない、事実なのだ、としかこの文章は読めない!』(p173)自身の病あるいは精神に対する熊楠の精緻な観察眼は、およそ半世紀の歳月を経て、かれの内面に腑わけのメスを入れる医師の登場さえ予測していたのではないか、と思わせるものがある。

 このような客観的な自己分析をはじめ、熊楠は実に多くの心理的、身体的記録を残したにもかかわらず、持ち前の?没論理性のためか、例によって何ら体系的な記述を残していない。しかし、それとて、民俗学や生物学においても同様であるし、著者も述べているように、それが南方学の真骨頂だとすれば、若き日、那智山にこもって「さびしき限りの処ゆえいろいろの精神変態を自分に生ずるゆえ、自然、変態心理の研究に立ち入」 (1) っていた熊楠である、かれの残した多くの仕事のなかで、民俗学や生物学と同等にこの分野が扱われてこなかったことのほうが不自然だったのかもしれない。

 また、ここで『日記』中に記述される自己の心身、あるいは自らの分身たる子供たちに対する熊楠の執拗な観察を考慮に入れた時、熊楠がひとつの明確な身体論を、あるいは身体技法を意識していたと考えられないだろうか。有名な反吐も、その意味でひとつの熊楠流の身体の調節法ではなかったろうか。また、「事の学」も心界と物界の結節点としての身体という観点で論じられていい。熊楠の自己の身体に対する視線はそのまま、外に向けられた時、宗教学・民俗学・生物学へと置き換えられるものだ。そう考えれば、自ら天才あるいは狂気の一つの実例として客観的にとらえ、様々な独創的方法をもちいてその存在構造に迫ろうとしていたとしても不思議ではない。自らの死後に脳の解剖までさせているではないか! (2) その点で熊楠の身体論は本書の「人間学」的立場に近いかもしれない。熊楠は自らをひとつの例題として問おうとする存在論的疑いをもつ。重要なのは問うおのれそのものも問わざるを得ない熊楠的な知性のありかたである。どちらにしても、本書の示した「人間学」的アプローチが、本文中で何度も熊楠と対照されたゴッホやドストエフスキーの評伝をのぞいて、とくに我が国では、ほとんど先例がないのはその意味で当然なのか。熊楠はここでもやはり早すぎたのだろうか。

4 熊楠の遺言

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 熊楠は自分が天才であること(p173)や、脳の組織に異常があるらしいこと(P143)を萌確に自覚していたようである。そして、自分の異能の秘密を解明するために死後解剖まで遺言しだというのだ。驚いたことに、熊楠の「神聖病」であったてんかんは、現代の医学では、精神分裂病や躁麓病などのいわゆる内因性精神病のカテゴリーからは除外されていて、脳の器質的疾患と理解されているという(P.178)。ここまで正確に、かつ徹底的に自らの心身を見つめ続けた人間が他にどれほどいるだろうか。そんな熊楠の遺志を継ぐためにも、本書を契機として、熊楠の学問や思想ばかりでなく、それらを著すことができた基盤ともいうべき熊楠の肉体や精神を含んだ身体論的な熊楠研究の流れが生まれることを念願したい。

 われわれの手元には、まだ大量の未公刊資料が残されている。信じられないことに脳の実物までも残されているのだ。今後も多くの実りが期待できよう。

(1)  『南方熊楠全集7』平凡社、1971年、31ぺ一ジ

(2) 『父南方熊楠を語る』日本エディータースクール出版部、1981年、75ぺ一ジ