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《ミナカタ通信3号 (1996. 5.12) より》

[書評] 『南方熊楠 森羅万象を見つめた少年』

飯倉照平著 岩波ジュニア新書 1996年刊行

小峯和明  

一 博物学の水脈

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 南方熊楠という巨大な存在をどうとらえるか。やがて二十世紀も終わろうとしている今日、ますます重い課題となっているようだ。たんなるブームに終わらせないためにも、地道で着実な研究がもとめられている。そういう状況にあって恰好の入門書が出た。それが本書である。副題に「森羅万象を見つめた少年」。ジュニア新書の性格もあって、熊楠の十代と二十代、少年から成年への道行が記述の中心になる。

 熊楠は夏目漱石や正岡子規など、明治を代表する文学者と同年の生まれ。まさに江戸時代最後の年に当たり、明治の年号と年齢が同じになる。造り酒屋として成功する一家の経済力を背景に、熊楠の勉学の環境が整えられた。近代日本の知識人を生み出す環境の典型例だ。本書も熊楠の出自を丹念にあとづけ、彼の知と学がすでに少年時代に培われていたことを種々指摘する。たとえば、熊楠の学間の基本である博物学は、和歌山中学時代の教師鳥山啓によるところが大きかった(三八頁)。紀州は有名な徳川吉宗をはじめ、もともと本草学や博物学が盛んだった地で、鳥山は本草学で有名な小野蘭山の学統をつぐ。紀州の博物学の伝統に熊楠もつらなる。決して突然変異的に出現したわけではなかった。そうした伝統は熊楠をとりまく弟子たちにも波及したはずだ。紀州の博物学は比喩的にいえば、吉宗から西洋の学を吸収した熊楠にいたる活々たる水脈に花開いた。本書から、熊楠が現れる学統の必然性を再認識する。

 また、本書は熊楠の博物学が生きとし生けるものへの興味関心からはぐくまれ、彼の人生と切り離せないほど血肉化していたことを示している。「精神的な危機に直面した時、熊楠はいつも生きものと向き合っています。生きものとの交感によって、熊楠は自分の心を鎮静していたのかもしれません。」(六九頁)

二 少年愛と天狗

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 熊楠の少年愛について、本書は羽山繁太郎らとの交流などにふれるが(一〇一頁)、新書の性格上やむをえないものの、やや物足りない感じがした。今日、男女の性転換をはじめ、性差の問題がさまざまに論じられているが、熊楠はこの課題に恰好の材料を提供していよう。稚児や男色は身分階層を問わず時代社会ごとにさまざまな問題をはらんでいることが明らかにされており、それ自体ひとつの文化としての意義を主張している。その点で熊楠の言説は、ジェンダーの観点から実に多くの興味深い問題を投げかけていよう。羽山との交流を「普遍的な友情の極地」(一〇六頁)とみるのは美化しすぎているのではあるまいか。

 これとあわせ、熊楠はテンギャン(天狗)とあだ名されたこともあって(四四頁)、みずから天狗を自認、天狗の絵をよく描いていたようだ。六五員にみる、女性を注視する天狗図は隠微でエロチックな印象が強い。熊楠の絵はかんたんな挿絵やデッサンも含め、かなりの技量である。粘菌やきのこなど観察の成果としての正確な図譜に限らず、自由で軽いタッチの絵も捨てがたい味わいをもつ。彼の残した膨大な絵を網羅し、体系ずけて総合的に検証する必要があるかと思う。(日記には長男熊弥の描いた絵もある)。

 熊楠にとって天狗のもつ意味は何だったのか。熊楠は天狗についての噂話や伝承も書きつけており、たんなるあだ名だけの次元にとどまらない。天狗とは、異界から飛来する妖怪であり、自在にあちらとこちらを飛翔する神通力の持ち主だ。同時に高い鼻は性的なイメージがつきまとう。熊楠にふさわしい名であることに異論がない。しかし、それもまた自らつくり出した説話であったろう。熊楠の場合、自分で伝説をつくり出してしまう面があることを否定できない。近年の研究はそういう神話の仮面をはがす方向に向かっているが、熊楠伝説を当人が提造することの意義を、説話学的に検証してみたい。おそらく天狗もそういう例のひとつであろう。

三 異文化との出会い

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 熊楠の青年時代を特徴づけるのは、何といっても十四年に及ぶ西洋体験である。本書の序章「一九歳の船出と出会い」は洋行が中国人との出会いでもあったいきさつをものがたり、とくに興味深い。今でこそ海外渡航はめずらしくなくなったが、明治の近代化に「洋行」は重要な鍵となる。熊楠の眼からアメリカやロンドンを見つめなおし、読みなおす視覚も必要であろう。異文化との出会いを通して近代を検証する試みでもある。

 和歌山は移民が多く、漁業も盛んだったから、海外への眼が早くからひらかれていたにちがいない。亡命も含めて日本におさまりきれず海外に雄飛する人物は古来すくなくなかった。熊楠もまた「一大事業」をなして「天下の男」をめざす立志伝の一人、近代日本の青年の一典型であったことを知る(一四頁)。しかし、それも東京での挫折がなければ考えられなかったわけで、東京体験を経由しての日本脱出であったこともおさえておきたい。都会対田舎の軸と西洋対日本の軸が交差していよう。

 熊楠の西洋体験は大きくアメリカ時代の六年とイギリス時代の八年とにわかれるが、いずれもさまざまな人との出会いを熊楠なりに生かしていることが知られる。アメリカでの自由民権運動の亡命者との交流など(九一頁)、明治近代のもうひとつの面を照らし出す動きとして注目される。十九世紀末期、すでに日本人が西洋にすくなからず在住していたことにあらためて驚かされる。

 本書でとくに印象深いのは、アナーバーでの体験談の記述だ。雪の中で子猫を拾い、亡くなった妹の身代わりと思うが結局捨ててしまったことを三十年後に回想しているくだり(一二三頁)。熊楠の生きものに対する細やかな心情をたどることができる。この一節はなかなか感動的で、記憶力というより、むしろ回想の形式を通した物語化の再話表現力というべきだろうか。そこに熊楠のアメリカ体験のひとつの光景が象徴化されていることは疑いないであろう。

 猫はロンドンにも登場する(一七二頁)。熊楠が猫好きだったという次元に解消するのでなく、熊楠の精神風景や深層心理などと結びつけて解読すべき課題であろう。しいていえば、本書にアメリカやロンドンの関連地図のないのが不便である。

四 知のネットワーク

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 近年、知のネットワーク論が盛んである。文芸研究でいえば、作者の個性による創作という論理がほぼ解体し、人的交流や情報資料の流通などメディア論もからめた新しい研究の視界がひらかれている。熊楠の生涯をたどると、とくにそうしたネットワークの重要性を考えさせられる。本書でもアメリカでのカルキンスや江聖聰、イギリスでの孫文や土査法竜等々との交流が活写され、興味はつきない。

 熊楠の見つめた森羅万象とは何か。それはやがて「南方マンダラ」に結実化していくが、自然界はもとより、人間界のそれをも意味していたのではないか。人と人とのつらなりがあやなす因縁もまた自然界の森羅万象の不可思議に匹敵する、というよりそれに含みこまれるものであったろう。本書を読んでそんな感慨を抱いた。

 個人的な蛇足を加えれば、人と人との出会いもさりながら、本との出会いもまた不思議な因縁にみちているといわざるをえない。昨年からある月刊誌で毎月、古代・中世の諺をテーマに四人でリレー式の連載を行っているが、たまたま平安時代にさかのぼる「烏なき島のこうもり」について書いた。偶然といえぱそれまでだが、中世の説話やお伽草子に多く、こうもりを例に〈説話の博物学〉が考えられると思っていた矢先、本書で柳田・熊楠の往復書簡にこの諺がやりとりされていることを知った(二〇一貫)。書簡集は以前見ていたはずだが、その折りにはさして気にとめなかったもので、あらためて柳田・熊楠間の「無為郷の伏翼」の意義が浮かび上がってくる。おもしろい符号であった。

 欲をいえば、熊楠が用いた書簡というメディアの意義についてもうすこし言及してほしかった。さらにはロンドン抜書のごとき抜き書きとともに(一四六貫)、書物への書き込みの学についても。抜き書きと書き込みこそ学問の基本であるからだ。熊楠の学を通して、電話にファックスにコピーやパソコン等々が日常化し、筆で書くことをやめてしまった今日の知の風景が痛烈に相対化されるのを思う。

 熊楠の生涯は、郷里や学校社会からはみ出し、ついには日本を飛び出し、世界の先進文化にふれながら、最後は故郷に回帰する。挫折と葛藤に生きた青年の見本のような物語でもある。伝記や評伝もまた〈物語〉であることを再認識させられる。

 最新の研究成果をふまえた、熊楠研究の第一人者による読みやすい伝記が提供され、熊楠に関心をもつ若者がこれからますます増えるであろうことを念願したい。