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『南方熊楠 進化論・政治・性』

[Photo: cover page]

原田 健一

平凡社 2003年11月刊行

46判 272頁 定価:本体2600円(税別)


切り開かれた熊楠研究の新たなる地平:十年の熊楠旧邸調査から見えてきたものは何か

新しい知見、資料を駆使して、 進化論・政治・性のフォーカスから、 熊楠の「知」の宇宙の核心に迫る この秋、注目の最新刊。

目次

はじめに ―南方熊楠の日常の痕跡

第一章 「和漢洋」の知の構想と進化論 ―人種から心の進化へ

第二章 進化論から仏教論へ ―「事」というカテゴリー

第三章 幽霊を見る熊楠 ―萃点としてのエコロジー

第四章 神社合祀反対運動と新聞メディア ―政治とパフォーマンス

第五章 タブーという方法 ―神社合祀反対と近親相姦の禁忌

第六章 男色と同性愛の間 ―そのセクシュアリティと言説

第七章 身体のなかの社会と自然 ―性の技法と道徳

おわりに ―熊楠研究の新たな地平にむけて

「おわりに ―熊楠研究の新たな地平にむけて」より

 この本では、南方熊楠の「知」の生成過程を、三つの観点から解き明かそうとした。 一つは進化論である。一九世紀から二○世紀への「知」のパラダイム転換の、大きな力をになった進化論と、熊楠がどう向かい合い、取り組み、理解し、自らの研究へと発展させようとしたのかを、問題とした。

 欧米において、進化論を認めることは、一科学理論を認めるだけのことではなかった。それは、キリスト教の世界観を否定するものであり、そうした世界観のうえにのっていた社会や、文化、生活規範を、根底から見直しさせるものであった。

 人間を一つの生物として見、人間社会も生物社会が発展したものとして見たとき、ダーウィン的進化の原理がそのまま、人間社会にもあてはまるものだと考えられた。熊楠はハーバート・スペンサーの造語である「最適者生存」という言葉を意識的に排除しているが、この「最適者生存」という言葉こそ、進化論を生物学から社会学へとつなげる強力なキーワードであった。スペンサーの社会学は、一九世紀において欧米の帝国主義的イデオロギーとしての役割を果たしていたのである。

 熊楠は、一度はスペンサーの社会学に心酔し、後に否定へと一八○度転換する。今までの熊楠研究者は、熊楠のスペンサーへの批判をそのまま受け、スペンサーの進化論を「粗雑で安易なもの」とする。しかし、そんな「粗雑で安易なもの」に、なぜ、熊楠が心酔したのだろう。

 熊楠が学ぼうとした欧米の「知」とは、いかなるものであったのか、その社会的文脈にそくして読み解かないかぎり、熊楠の進化論理解のダイナミズムを読み解くことはできない。熊楠は進化論のもつ社会的イデオロギー性を脱色し、人間の心の進化の問題へと編み直そうとした。

 そのとき、「事」というカテゴリーが熊楠のなかで、創出されることになった。

 二つめは、南方熊楠の「知」の大きな特徴であるセクシュアリティの研究である。熊楠のセクシュアリティの研究はその語り口の猥雑さのために、重要性を指摘されるものの、まともに論じられることがなかった。

 熊楠は、人間が雌雄交合によって生み出される生物的事実に、社会の基層を見た。こうした、人間を生物的次元からとらえ、社会を見ようとする見方は、進化論から受け取ったものだ。人間社会は雌雄という「性」の規準において、分業化され、性的役割を期待され、構造化されている。しかし、熊楠はそうしたとらえかただけでなく、こうした社会の雌雄交合をめぐる規範に対して、逸脱しようとする「性」行為があることに着目する。

 近親相姦、同性愛、獣姦といった人間の逸脱した「性」行為は、人間社会のなかでタブーへの侵犯としてある。そうしたタブーの侵犯は、人間にあるいは人間社会に、何を生み出そうとするだろうか。熊楠は、こうした不浄な「性」行為から「聖」なる自覚へといたる過程に、「性」のタブーの本質を読み解こうとした。

 そして、三つめに、熊楠は生きている日常世界を研究するだけでなく、その日常世界のなかで、生きようとした。そのことは、自らが学んだ「知」の世界を、現実に生きて、生活している世界へと持ち込もうとすることである。神社合祀反対運動はそうした熊楠の社会へのかかわりから、生み出されたものだ。

 熊楠は、常に「和漢洋」の莫大な知識の世界と、この現実の世界を取り結ぼうとした。死ぬまで「知」と現実を往還する越境者として、あるいは、欧米の「知」的社会と日本社会との間にたつマージナルな存在として、生きざるを得なかった。

 そして、さらに、当時、精神の狂者として見られたてんかん者として、あるいは「性」の逸脱者として見られた男色家として刻印され、社会を生きていくことを自覚する必要があった。そこにはスティグマの視線というものがあったのだ。

 さまざまな要因が重層し集束した萃点そのものとして、南方熊楠という存在そのものが、多重的に、複相してあったのだ。それは、そのまま、熊楠の「知」の複雑さであり、人間関係の複相性であり、多重な人格性として機能せざるを得ないものであった。 熊楠をめぐるこうした議論は、なじみのないものかもしれない。当然のことながら、熊楠に対する研究のアプローチは、ほかにもさまざまなかたちである。この本は、そうしたアプローチを否定するものではない。また、わたしの知識の偏りもあり、熊楠がめざした「知」の全貌について、すべて触れたとも考えていない。

 ここでわたしが試みたことは、従来の固定化された南方熊楠像や、研究の枠組みを問い直し、新たな地平にむかって、南方熊楠の「知」のあり様と、その生き方を解き放ちたかったのである。

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[著者略歴]

原田健一(はらだ けんいち)

1956年生まれ。映像・音楽の製作、プロデュースをおこなう。1992年より、和歌山県田辺市南方熊楠旧邸の調査に従事、『熊楠研究』編集委員。現在、東洋大学大学院博士課程在籍中。専攻、メディア史、マス・コミュニケーション理論。著書、『岳父・南方熊楠』(共著、平凡社)、『南方熊楠を知る事典』(共著、講談社現代新書)、『岡田桑三 映像の世紀』(共著、平凡社)など。