干潟公園(和歌山県田辺市新庄)


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 田辺と白浜を結ぶ旧有料道路沿いの内之浦という入り江の一番奥に 新庄総合公園の一部として作られている。田辺湾内にはもともとは入り組んだ部分のあちこちに 干潟があり、さまざまな塩性植物が育っていたらしい。データが はっきりしないので確証はないが、南方熊楠の植物標本からは フクド(ハマヨモギ)やウラギクなど、今ではごく限られた場所 でしか見られないそのような植物が山のように見つかっている。 まるで、彼がすでにこれらの植物がいずれなくなってしまう とわかっていたかのようで、実際に自然のの海岸線がほとんどなくなって しまった今では、その多くが滅んでしまった。
内之浦はもっとも規模の大きい干潟が残された場所である。
公園前面  そこに田辺市は近隣の地域の開発とともに、公園を造り、この 干潟公園と名をつけた。干潟の陸に近い部分を埋め立て、そこに芝生と植木を 配し、干潟への斜面は石組みや階段などの形にしている。これで 干潟にみんなが近づけ、干潟に親しむことのできる公園だといいたいのかもしれない。
 しかし、干潟を埋め立てて干潟公園というのはどういうことだろう。
先にも述べたように、すでに田辺湾の干潟はほとんどが失われて しまっている。それをさらに埋め立てて、しかも干潟に親しむ 施設だと言うのは、冗談にしかならないだろう。
干潟が海水の浄化の 行われる重要な場所である事はよく知られている。田辺湾で汚染の進行していることは はまず間違いのないことで、残り少なくなっていたその能力をさらに削ったわけである。
 芝生になった面積は、干潟全体から見ればそう大きくはないかもしれない。 しかし、陸に近い内湾の一番おくの場所で、ヨシなどが生えていた はずの場所をほとんど無くした形になっている。
そして陸へ向かうにつれて高等植物が多くなって陸上になってゆくわけ だが、この公園はその中間部分をほとんど無くしてしまっている。
芝生と植木  埋め立てられた公園は一面の芝生とし、そこに樹が植えられているのは どこの都会にでもあるようなただの公園のたたずまいである。これの どこが干潟公園なのだろう。植木の種類をみると、ハマヒサカキやタブなど、 一応海岸であることを意識したらしいものもあるが、カヤの類いの針葉樹 とか、トチノキとか、どう見ても不似合いなものも有り、よく考えられて いるとは思いがたい。ちなみに、2001年8月の段階で、これらの一部は まっ黄色になっていた。(その他の樹木についても、他地域から 持ち込んだものではないかとの疑惑有り)。
それと、大きな木の周りになんやらよーわからん像を円陣に配するのは 変な趣味だと思う。
公園の水辺  もう一つ、この公園には塩性植物の成育できるような区域がほとんどない。 芝生の面と干潟の面の高さの差が大きくて、その間が急傾斜だからだ。 昔ならば垂直な壁で囲んだところをやや凸凹の壁に変えたという事で、 その結果の差はほとんどあるまい。あるとしたら人間が近づきやすく なった点だろう。その点を売り物にしたいのかもしれないが、これは 明らかな間違いだ。たとえば、もともと垂直な壁で囲っていた川をこの工法 に作り替えるというならわかる。それは川にとっても多少はましだろうし、 地域にとってもよい事かもしれない。しかし、ここのように干潟を埋め立てて こんなことをしても、干潟の破壊であるということになんら変わりがない。
 工事の終わってのち、”トビハゼが帰って来てよかった”というような 新聞報道がめでたい事のように出ていたが、工事をしなければ 初めからずっと居たのであり、工事の後もし帰って来なかったら、 と考えれば、実にえーかげんでのんきな報道だと思う。
 この場所は他にもいわく付きの場所で、数年前に田辺市がここに マングローブを移植しようとした事がある。干潟ならばこれ、という 発想らしいが、あれは熱帯の物である。その種子は海流にのって広がる ものと思われる。とすれば、過去に本州南岸に流れついたことがあるはずで、 にもかかわらず生育していないものならば、植えたって育つはずがない。 現在よそでも同じ様な取り組みを子供にやらせているところがあるとか ニュースで聞いたが、愚かな事は止めにしてもらいたい。ここも当然1年 限りで枯れてしまった。今、公園になっているのは、ちょうどマングローブを 植えたあたりである。恥ずかしくなって隠す気になったのかも しれない。
 秋津川のビオトープは最上の物とはいえないかもしれないが、 まじめにビオトープに取り組んでいる。その同じ田辺市が、この ような施設をおおまじめで作っているのが何より困るし、理解に 苦しむ。
(2001年9月)

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