◆宮之浦(みやのうら)官行集落
所在:屋久島町宮之浦 地形図:屋久宮之浦・一湊/屋久島東北部
形態:川沿いの斜面に家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約100m〜
訪問:2011年12月
宮之浦川右岸にある。小杉谷と同様、かつて林業の拠点として栄えた集落。
宮之浦斫伐所がこの地に設置されたのは昭和10年代。戦時色が強まり、軍用材などの生産が強化された頃にあたる。森林軌道が敷設され、右岸斜面の広葉樹の伐採が進められた。軌道の終点付近には、宮之浦斫伐所・学校(宮浦小学校岳分校)・上屋久林業修練所(※)などがあったという。軌道はのち耳崩(みみんくえ)(=山の名)中腹まで延長(資料『世界遺産屋久島 亜熱帯の自然と生態系』参考)。
※ 島内で林内作業の専門技術を持つ人は少なかったため、これを育成しようとしたもの(戦局の悪化により中断)。木材生産を増やすにあたり必要な労働力が確保できず、本土から技術者を呼ぶことも容易ではなかったことが背景
訪問は神之川林道より。林道始点より概ね1.7km、2.7km、4.6km付近に傾斜が緩くなった場所があるが、3箇所目は未確認。遺構の有無も不明。
住宅は2箇所目に集中しており、緩やかになった斜面上に多数の家屋の遺構が残る。かつて右岸を走っていた軌道も集落内を通っていたようで、枕木等軌道の構成物が僅かに残っている(写真10-12)。集落西部の小高い場所では、何かを祀った祠が見られた(写真13)。また集落西部には大型の建物の遺構も残っているが、学校(宮浦(みやのうら)小学校岳分校)もここにあっのだろうか。
その先では生活痕はほとんど確認できず、水利関連の遺構が僅かに見られるのみ(写真14-16)。
『上屋久町郷土誌』より、分かる範囲での学校の沿革は以下のとおり。
昭和14 |
宮之浦川上流に営林署子弟のための家庭教育場ができる |
昭和16 |
宮浦国民学校岳分校となる(学校として正式認可) |
昭和22 |
宮浦小学校岳分校となる |
※ 追記
2022年、HEYANEKO氏が現地に赴き集落跡および学校跡を確認しました。当初このレポート内では林道始点から1箇所目の緩い傾斜地を住宅密集地としていましたが、氏からの報告により2箇所目に住宅密集地があることが分かり、これを修正しました(集落の所在は林道起点よりおよそ3.0q)。この場を借りてお礼申し上げます。
さらに、これまで見出しを「宮之浦林業集落(仮称)」としていましたが、氏の調査に倣い「宮之浦官行集落」に改めました。
なお住宅密集地より先で見つけた遺構(画像14-16)は、当初2箇所目付近としていましたが、既に古い記憶のため具体的な位置は分かりません。
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