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◆片鼻(かたはな)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「臼杵」(昭和21.9)を使用したものである

所在:津久見市四浦(ようら)
地形図:津久見/臼杵
形態:山中に家屋が集まる
標高:数m〜
訪問:2023年12月

 

 大字四浦の北西部、四浦半島の先端・観音崎の南西の海沿いにある。
 途中で会ったかつての住民(川野(かわの)氏・昭和32年生)によると、古くは6、7戸あったと聞くが、生まれた頃にはすでに1戸のみであったという。段々畑でミカンや小麦を栽培し暮らしていたとのこと。
 また資料『佐伯史談』での元住民(川野氏夫妻〔夫昭和10年、妻11年生〕)への聞き取るによると、戦後しばらくは4戸(川野・小手川・児玉・伊東の各家)が暮らしていたが、次第に転出し、最後に残った川野家も昭和45年に赤崎(あかさき)に転出したとのこと。段々畑で芋・麦・ミカンを栽培し、また周囲の海で漁撈を行う半農半漁で暮らしていた。岬の中ほどの高所に天神様を建立し、また地区内には地蔵さんや恵比須さん、稲荷さんも祀られていたという。なお天神社は、戦後の戸数減少に伴い維持が困難となり取り壊されている。

 昭和38年の航空写真では、段々になった農地がかなり広い範囲に亘って見られるものの、不鮮明のため家屋の位置はよく分からない。同40年のものでは地名表記付近に建物のようなものが見られ、船着場が建造されている(同50年のものでは撤去されている)。

 訪問は半島の稜線を挟んだ網代(あじろ)の赤崎より。旧版地形図に記された道は鞍部で終わり、後半は谷に沿って適当に下ることになる。なお鞍部には墓地があり、川野・河野・小手川といった姓が見られる。
 現地では、それぞれの浦で屋敷跡や建物跡といった痕跡が確認できた。農地跡にはモノレールの線路が残り、先述の船着場や赤崎方面に通じている。

 


写真1 道中の鞍部の墓地

写真2 農地跡

写真3 モノレール

写真4 建物跡

写真5 写真4にて。貯水槽と発動機

写真6 写真4付近の浜

写真7 浜から写真4への入口

写真8 船着場跡(昭和40年の航空写真のものとは別)

写真9 写真8付近の浜からの入口

写真10 浜へ向かうレール(写真8・9へ通じる)

写真11 石造物

写真12 墓石?

写真13 小屋(写真14と隣り合う)

写真14 小屋跡(写真13と隣り合う)

写真15 道

写真16 建物跡

写真17 写真16にて。便所跡

写真18 写真16にて。浮き玉

写真19 船着場(昭和40年の航空写真のもの)

写真20 写真19を外側から見る

写真21 写真16から続く平坦地

写真22 石仏。「昭和拾年旧拾壱月廿三日」とある。「發起人」の主任長?として小手川氏、世話人として新田氏の名が見られる

写真23 写真22の下、散乱した石造物

写真24 写真25-32の浜

写真25 何かの設備

写真26 石垣

写真27 道

写真28 屋敷跡

写真29 写真28にて。瓦

写真30 屋敷跡?

写真31 墓地。小手川氏の名が見られる

写真32 農地跡

写真33 平坦地

写真34 農地跡

写真35 平坦地

写真36 写真34・35の浜

 

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