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◆尾平(おびら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三田井」(昭和27.4)を使用したものである

所在:豊後大野市緒方町尾平鉱山(おがたまちおびらこうざん)
地形図:見立/三田井
形態:川沿いから山中にかけて家屋や施設が多数集まる
標高:約560〜750m
訪問:2023年12月

 

 大字尾平鉱山の中部、奥岳(おくだけ・おくたけ)川とその支流沿いにある。主に錫を産出した尾平鉱山に伴う鉱山集落のひとつ。下流には同じく鉱山にゆかりのある下尾平集落があるが、こちらは未訪問。
 県道7号線の奥岳(おくたけ)橋付近が集落の入口。地区内には、かつての鉱山住宅の遺構が多数確認できる。また県道沿いに現住家屋が1戸あり、ごく最近まで旅館が経営されていたよう。ほか廃校を再利用したゲストハウスが営業中(公式サイトによると、2017年開業)で、バスの便もある。またゲストハウスから南東には神社があり、これは健男霜凝日子麓社(健男社)。
 なお現在でも坑廃水処理が行われており、その施設が集落の西側にある。

 資料『尾平鉱山誌』より、鉱山の概要は以下のとおり。なお引用の都合上、尾平鉱山全般(下尾平を含む)の記述となっている。

 鉱山の歴史は、天文16(1547)年に鉱石が発見され、中小屋(なかごや)銀山が開発されたたことに始まる。
 のち元和3(1617)年の蒸籠(こしき)山の開発(錫を産出)、正保4(1647)年の薑谷(はじかみだに)の開発(錫を産出)、天和2(1682)年の慶賃谷(けいちんだに)の開発(「銅白目」を産出)が続く。錫の生産低下により他の鉱物の産出が求められ、慶応元(1865)年より大蔵山(文化8〔1811〕年開発)の銅のカラミ(鉱滓)の吹立が行われるようになった。
 明治7年には、大阪市の岡本嘉兵衛が慶賃谷の旧坑を開坑。主に銅鉱を採掘したが、明治10年に死去。のち経営者は明治末期数年から十数年ほどの短期間で変遷。主に銅鉱に関わる操業であったが、錫や亜鉛の採掘も試みられた。
 明治から大正にかけて大きな実績はなかったが、明治36年操業開始の蔵内鉱業(薑谷・錫)、大正12年操業開始の上田鉱業(蒸籠山・錫)が、昭和に入り発展を見せる。
 昭和10年8月、上田鉱業は鉱山を前面的に三菱鉱業に譲渡。同社は積極的に探鉱を行い、錫の生産量は増加。昭和16年に最高の産出量を記録し翌年も同程度を維持したものの、戦中の諸事情により錫鉱採掘の中止を余儀なくされる。三菱鉱業は昭和17年に銅、蔵内鉱業は昭和18年に鉛・亜鉛の生産に転換した。
 昭和21年8月、蔵内尾平鉱山が休山。
 昭和23年、三菱鉱業は錫生産を再開。昭和25年を最盛期に戦後も活況を見せたが、昭和28年に生産量は激減。三菱尾平鉱山は同29年7月1日閉山となった。
 従業員73名の転出は8月15日に終了。事務所所長以下5名は、12月31日付で尾平の管理を槇峰鉱山(北方町【現・延岡市】・日之影町)に引き継ぎ、昭和30年1月末転出。
その後は地元出身の旧在籍者1名が残り、留守管理に当たった。
 昭和31年11月、蔵内鉱業が操業再開に向け施設や設備の整備を開始。同32年11月より操業を開始し、亜鉛・鉛を採掘した。しかしこれも昭和34年閉山。
 昭和30年12月、竹田営林署により国有林尾平鉱山林班の立木伐採素地生産事業が開始。集落は林業が中心となる。昭和36年の131戸(481人)のうち、営林署44・山林業21・日雇労働者14・農業11・教職9・商店5・郵便局3・役場関係3・九州電力関係2、ほか旅館・診療所・理髪店が1。無職8。集落の施設等は、小学校・中学校・役場出張所・農協出張所・診療所・営林署事業所・三菱金属事業所・蔵内鉱業事業所などがあった。
 その後は過疎化が進み、昭和42年には中学校、44年には小学校も閉校。尾平では昭和54年3戸、平成15年現在、工藤家・馬場家の2世帯3人。
 現在は、三菱マテリアル(三菱金属鉱業の後身)の尾平事業所が坑廃水処理を行っている。

 本文中から戸数についての記述を抜き出すと、その変遷は明治9年34戸ほど。明治中期23戸ほど。明治末期から大正初期10数戸。蔵内鉱業と上田鉱業の発展により、大正末期から昭和初期にかけて急増。昭和23年1,297人。昭和26年300戸1,499人、昭和30年86世帯387人(統計の典拠は様々)。

 以下、昭和以降の主な出来事を記す。

 昭和8  もみじ谷に九州水力電気の発電所開設。電力の供給開始
 法蔵院建立(竹田町光西寺の出張所)
 昭和10.4

 駐在所設置(下尾平)

 昭和11.8  竹田‐尾平鉱山間に乗合自動車(バス)運行開始
 昭和13  下尾平より尾平までの車道開通
 昭和13.4.1  尾平鉱山郵便局開局(字山中)
 昭和15.3.17  大火
 昭和15.3.30  郵便局内に電話架設
 昭和15.9.11  尾平ダム決潰
 昭和15.10  新式の選鉱場完成
 昭和25.4.1  三菱鉱業は、石炭部門の「三菱鉱業」と金属部門の「太平鉱業」に分割。当鉱山の経営は後者に引き継がれる
 昭和26.10  長谷川村役場尾平鉱山出張所開設(天神平)

 昭和27.12.1

 太平鉱業が、三菱金属鉱業と改称(昭和48年12三菱金属、平成2年三菱マテリアルと改称)
 昭和29  登山者の宿泊施設「山の家」開設(小料理屋・旅館跡の建物)
 昭和42.8  尾平越トンネル開通
 昭和50.7  学校跡地に尾平青少年旅行村開業
 平成14  神社(健男霜凝日子麓社)改修

 また学校の沿革は以下のとおり。

(小学校)

 明治10.1  尾平鉱山小学校開設
 明治20.4  廃止。小原村の小学簡易科に統合
 明治21.12  長谷川尋常小学校尾平鉱山分教場開設
 明治43.6  廃止
 明治44.4  尾平鉱山家庭学校開設。高山氏の宅地を間借り
 昭和3.12  廃止
 昭和4.1  長谷川尋常高等小学校尾平鉱山分教場開設。蔵内・上田両鉱業所が字山中に校舎を新築

 昭和17.4

 独立。尾平国民学校となる
 昭和22.4.1  尾平小学校となる
 昭和27.12.21  新校舎落成
 ?  上畑小学校尾平分校となる
 昭和44.8.31  閉校

 児童数は明治38年96人、40年100人、41年107人、昭和9年125人、10年165人、12年205人、19年374人、26年271人。28年度は4月に93人であったものが、年度末には66人となった。30年82人、37年68人、41年49人、43年36人、44年7人。

(中学校)

 昭和22.5  尾平中学校開校。小学校に併設
 昭和23.5.30  移転。旧蔵内鉱業所のコンプレッサー室を改装
 昭和27.12.21  新校舎落成
 昭和41.4.1  尾平・長谷川・上緒方の各中学校が統合。米山中学校尾平校舎となる

 昭和42.6

 米山中学校校舎落成に伴い、校舎廃止

 生徒数は昭和22年42人、26年105人(最多)。29年度は4月に64人だったものが、3学期には33人に激減。37年23人、38年21人、39年19人、40年19人、41年20人、42年19人。

 なお尾平小中学校旧校舎は、昭和50年7月尾平青少年旅行村として転用された。
 また尾平鉱山区立の尾平幼稚園が、昭和41年4月1日に開設されている。尾平中学校の職員室を改装したもの。同43年8月31日廃止。

 


写真1 住宅跡の石垣(以下写真12まで奥岳川左岸)
(以下概ね下流側より)

写真2 道の階段

写真3 遺構(共同浴場?)

写真4 建物跡

写真5 階段

写真6 建物跡

写真7 建物跡

写真8 住宅跡

写真9 階段

写真10 住宅跡

写真11 住宅跡

写真12 住宅跡

写真13 橋の跡。中央左寄りに橋脚が見える

写真14

写真15 石垣

写真16 建物跡(三菱本部事務所?)

写真17 小屋

写真18 階段

写真19 
住宅跡

写真20 平坦地

写真21 住宅跡

写真22 何かの坑口

写真23 写真22上部の遺構

写真24 枝道

写真25 住宅群

写真26 調整池?

写真27 住宅跡

写真28 廃屋


写真29 住宅跡


写真30 住宅跡

写真31 住宅跡

写真32 竈

写真33 住宅跡の遺構

写真34 バス停

写真35 学校跡(宿泊施設)

写真36 同。左が小学校、右奥が中学校

写真37 学校跡にて。かつての流し台?

写真38 学校下の石仏

写真39 何かの建物。奥は便所

写真40 住宅跡の遺構

写真41 住宅跡

写真42 住宅跡

写真43 住宅跡

写真44 階段

写真45 小橋

写真46 廃屋(「山の家」跡?)

写真47 シックナー

写真48 県道と住宅の石垣

写真49 住宅跡

写真50 住宅跡

写真51 廃屋

写真52 住宅跡

写真53 何かの跡

写真54 住宅跡

写真55 住宅跡


写真56 石塔群。中央には涅槃経(諸行無常…寂滅爲樂)や
「享保二丁酉稔/七月八日」「奉 尊崇庚申霊塔」、右は「享保九甲辰天/五月十八日」「奉 供養庚申塔」などとある


写真57 神社の参道と鳥居。扁額には健男社とある

写真58 神社社殿

写真59 排水の坑口

写真60 住宅地にて

写真61 住宅跡

写真62 住宅跡

写真63 住宅跡

写真64 住宅跡

写真65 住宅跡

写真66 住宅跡

写真67 住宅跡

写真68 住宅跡

写真69 階段と住宅群の石垣

写真70 何かの跡地

写真71 住宅群の石垣

写真72 住宅跡

写真73 階段

写真74 住宅跡

写真75 住宅跡

写真76 住宅跡の遺構

写真77 遺構

写真78 竈

写真79 住宅跡

写真80 階段

写真81 坑口

写真82 住宅跡

写真83 住宅跡

写真84 住宅跡

写真85 住宅跡

写真86 住宅跡の遺構

写真87 住宅跡

写真88 排水の坑口

写真89 住宅跡

写真90 住宅跡

写真91 便所跡

写真92 住宅跡。竈が規則的に並んでいる

写真93 住宅跡

写真94 住宅地の石垣

写真95 何かの遺構

写真96 住宅跡

写真97 何かの坑口

写真98 何かの石積み

写真99 排水の坑口

 

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