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◆葛原(くずはら)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「鶴川」(昭和21.10)を使用したものである

所在:国東市国東町岩戸寺(くにさきまちいわとうじ)
地形図:香々地/鶴川
異読み:かずらはら?(旧版地形図)・かつらはら(町史)
形態:山中に家屋が集まる
標高:約370m
訪問:2023年10月

 

 大字岩戸寺の南西部、来浦(くのうら)川の最上流部にある。文珠山の北側斜面で、水谷峠の東。
 県道544号より車道(林道?)が通じ、訪問時はこれを利用。なお当地は
「国東半島峯道ロングトレイル」のコースの一部となっており、県道からの分岐には案内標柱も立てられている(写真1)。
 現地では、道路の下に鳥居と小祠、それに隣接する墓地が見られ、屋敷跡も1箇所のみ確認。それらしい平坦地もいくらか見られるが、断定には至らず。集落の北に延びる尾根上にも足を延ばしたが、小さなピークの手前で何かが建てられていたと思われる平坦地と何かの遺構が見られた。
 なお墓石および墓地・鳥居の改修工事の記念碑では猪俣氏の名が見られた。

 町史では、岩戸寺から国見町【現・国東市】赤根までの道のりの記述において、「…なおも道をたどれば葛原の小盆地があり、数軒あった民家も、大正の末には人影消えて、みな里におりてしまった」との一節がある。
 また
来浦字宮ノ本の八坂神社は、往古の時代に出雲国の御崎から当地に勧請したものとのこと。初めは大楠のそばに奉祀したものを、貞観18(876)年大木本(宮園)(※)に遷座。元禄3(1690)年現在地に移転したとの由。

 なお読みについては「国東半島峯道ロングトレイル」の標柱やその公式サイト、「角川」の小字一覧のルビに拠ったが、旧版地形図では「カヅラハラ」、町史のルビは「かつらはら」となっている。

※ 地名についての詳細は不明

 


写真1 案内標柱

写真2 鳥居と石造物群

写真3 写真2境内の小祠

写真4 墓地

写真5 石垣

写真6 屋敷跡

写真7 屋敷跡にて

写真8 屋敷神?

写真9 平坦地

写真10 墓地(写真4)からやや離れた墓石群

写真11 ピーク下の平坦地

写真12 写真11脇の何かの遺構

 

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