◆恋路島(こいじしま)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「水俣」(昭和27.3)を使用したものである
所在:水俣市明神町(みょうじんちょう)
地形図:水俣/水俣
形態:海沿い?
標高:数m?
訪問:(2024年5月)
水俣港より北東におよそ1.2qにある島。
資料『シマダス』によると、当地は江戸時代に編纂された『肥後国誌』に、「古路島」・「古木島」として登場。その後「こき」・「こぎ」・「こじしま」(小路島・恋路島)と長らく呼ばれており、現在の名称は明治後期より使われ始め、大正時代に定着したとのこと。
戦後になり少年保護施設「二水海洋学園」が開設され、昭和25年に移転するまで孤児たちが田畑を耕しながら暮らしていた。昭和26年市がキャンプ施設を開設し、キャンプ場や海水浴場として親しまれていたが、昭和31年の水俣病公式確認後海水浴場は廃止。昭和35年にはキャンプ場も閉鎖し無人となった。
上陸はせず、対岸の公園より遠景を望んだのみ。
なお昭和22年の航空写真では島内がほぼ森林になっているものの、同23年の航空写真では西側の浦付近を中心として開墾地や道が現れている。施設があったのはこの浦の付近か。昭和39年のものでは耕作が行われなくなった農地跡の区劃が見られ、同43年のものでは広い範囲に亘って森林が見られなくなっているものの、明瞭な道筋が確認できる。
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