◆飯田(いいだ)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「御舩」(昭和22.4)を使用したものである
所在:益城町小池(おいけ)
地形図:御船/御船
形態:山中に家屋が集まる
標高:約330m
訪問:2014年8月
大字小池の南東部、飯田山西の中腹にある。常楽(じょうらく)寺(天台宗。山号は飯田山(いいださん))を中心に栄えた集落。
境内の「歴史抜粋」や碑、寺院のサイトによると、常楽寺は日羅(にちら)公が6世紀末に開基したとされる。最盛期300余名の学僧と数多くの僧坊があったが、明治初期の廃仏毀釈や昭和の農地解放で農地を没収されるなどして衰退、無住となる。のち篤志家により本堂の改修(昭和58?)や一部の土地の返還(同62)、会館の建設(平成2)、梵鐘の製造(同8)および鐘楼の建設(同9)が行われている。
現在は寺院のほか「会館」が建ち、駐車場も整備され寺院の周辺は開けた雰囲気がある。訪問時は盆の時期に近かったこともあり、関係者が滞在。道沿いを中心に案内していただいた。
話によると現在は住職が不在で、檀家もなくなってから既に久しいよう。寺院は近年設けられた「会館」を拠点に通いで管理している。住居は多い時で20軒ほど。明治中期以降漸減し、昭和35、6年頃に無住になったのではないかとのこと。またかつては門前の土山地区で瓦焼きが盛んに行われ(瓦は熊本城にも納められている)、窯の燃料として当地周辺の木を供出していた。
道沿いを一瞥した後、改めて細部を探索。藪や荒地も多く全域の確認は行わなかったが、石垣や生活用品といった痕跡が散見された。なお現在の駐車場も屋敷跡であったという。集落入口付近の絵地図よると、集落内には天文板碑・五輪塔の残骸・逆修碑といった遺跡があるようだが、絵地図の存在を知ったのが探索後であったことや降雨に見舞われたことにより、これらを確認するには至らず。
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