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◆久領(くりょう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「頭地」(昭和22.9)を使用したものである

所在:五木村乙(おつ)
地形図:頭地/頭地
形態:川の合流部に家屋や施設が集まる
離村の背景:ダム建設計画
標高:約250m
訪問:2024年5月

 

 大字乙の南東部、川辺(かわべ)川と五木小川(いつきおがわ)との合流部にある。現在計画中の川辺川ダムにより離村。
 資料『川辺川ダムと五木村』によると、昭和56年95世帯287人(※1)。当地には村社の阿蘇神社(西俣阿蘇神社)や新泉寺(曹洞宗)があったとのこと。西俣阿蘇神社と対岸の東俣阿蘇神社、
清楽の白木神社を合祀して、高台の頭地(とうぢ)代替地に遷座した。新泉寺も新しい神社とともに移築されている。刊行当時(平成21年)は、発電所・消防分署・国交省の資料館「やませみ」が残存。
 村誌によると、昭和44年58世帯214人(※1)

※1 『川辺川〜』と村誌では世帯数が大きく異なるが、掲載された内容のまま引用した

 現在は発電所・川辺川ダム砂防事務所の出張所・監理団体の研修所といった施設があるが、発電所以外は近年になって建設されたもの。このうち砂防事務所の出張所は、平成8年11月に頭地資料室「やませみ」として開設されている。人家や施設はほとんど跡形もなくなっているが、プールの跡や「安心(あんじん)供養碑」(写真17)(※2)といった往時から残るものも僅かながら見られる。

※2 村指定有形文化財。なお安心は、現在の山江村出身の僧で、現在の人吉市(旧藍田村)に転生院を創建。のち天真院殿(相良頼寛公)の供養のため、球磨郡内に16基の碑を建立した。村内には元禄2(1689)年(安心入寂の年)に建てられた碑が、久領・田口に残されている(現地の説明板より要約)

 


写真1 集落跡を俯瞰する(頭地大橋より撮影)

写真2 頭地橋より集落方面を見る

写真3 道路沿いの風景

写真4 建物跡

写真5 建物跡

写真6 建物跡

写真7 建物跡

写真8 建物跡

写真9 屋敷跡の一部?

写真10 写真9の井戸

写真11 建物跡

写真12 屋敷跡?の石垣

写真13 屋敷跡?

写真14 枝道

写真15 道と敷地入口

写真16 プール

写真17 安心供養碑

写真18 屋敷跡?の遺構

写真19 道

写真20 神社の参道?

写真21 神社跡?

 

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