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◆上岡(かみおか)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大栃」(昭和35
.3)を使用したものである

所在:香美市物部町上岡(ものべちょう―)
地形図:大栃/大栃
形態:稜線上に家屋が集まる
標高:約820m
訪問:2014年12月

 

 旧物部村の南部、杉ノ谷山から東へ延びる稜線上にある。物部川支流の川之瀬(かわのせ)谷(下流では則友(のりとも)川の呼称)の右岸側。集落付近では概ね稜線の南側が大字上岡、北側が山崎(やまさき)となるが、宅地や施設はすべて上岡側に所在か。
 『続 物部村史』によると、昭和23年より入植して開拓が始まったという。ヒエ・アワ・ソバ・大豆・小豆・サツマイモ・ジャガイモなどを栽培。水に乏しく土壌は酸性で収穫も十分ではなかった。7戸が残ったが、昭和36年末全員が離農。
 また高知新聞のコラム「土佐の素顔」には2回に亘って当集落の記事が組まれている。これによると、開拓は昭和21年22戸により始まったとのこと。初期は国有林の伐採のみで賃金が得られ、開墾作業のみで補助金が下りることもあり、容易に現金収入を得ることができた。そのため開墾は飛躍的に進み、昭和23、4年頃には「高知県に上岡開拓地あり」と県が謳うほど成績も良好となる。さらに原木を利用したシイタケ栽培の開始、リンゴの試作、家畜の導入といった多角経営も目指した。しかし昭和26年頃になると国有林の伐採もほとんど終わり、また地力の衰えにより作物が育たず、収入は激減。離村者が相次いだ。昭和31年13戸、同34年現在で7戸となったが、ほとんどの家では生活に見切りをつけている状態となっている。なお主な作物は麦・サツマイモ・ジャガイモ・トウモロコシ・大豆などであった。陸稲は開拓初期のみで、地力が衰えて以降は栽培されていない。農業収入は少なく、農閑期は出稼ぎ等の副業で生活していた。水は雨水と索道で汲み上げる谷水のみで、晴天が続くと徒歩で汲み上げなければならなかった。家畜の飼育が軌道に乗らなかった一因に、この水の乏しさがある。

 訪問は川之瀬谷より。谷からの道の状態は良好。集落跡は非常になだらかで、よく手入れされたスギ林になっている。数箇所の屋敷跡と広い農地跡が見られたほか、学校跡地には大型の林業小屋が建てられている(校舎を改装?)。また小屋の脇には学校跡の碑(昭和57年5月、村による設置)があり、これによると河口小学校上岡分校跡は昭和23年5月1日開校、同37年1月10日閉校。集落西の外れには索道の発着点と廃車が残されている。自動車は離村後の植林の後に林業用に使われたものと思われる。

 なお後日たまだれ氏(SNSの友人)からいただいた資料には、7戸の住宅のほか「樒尾山開拓農業協同組合」や「農協」といった施設も見られる。

 


写真1 登り口

写真2 集落の道(右)と農地跡

写真3 屋敷跡

写真4 平坦地

写真5 屋敷跡

写真6 集落風景

写真7 集落内を横断する道

写真8 電柱2本

写真9 石垣

写真10 学校跡。左は外便所兼外風呂

写真11 学校の記念碑

写真12 貯水槽

写真13 三角点

写真14 小屋

写真15 廃車

写真16 廃車(右手前)と索道巻上機の小屋(左奥)

写真17 索道支柱

 

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