戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆佐々連(さざれ)鉱山

在:四国中央市金砂町小川山(きんしゃちょうおがわやま)
地形図:佐々連尾山/伊予三島
形態:川沿いから斜面にかけて家屋や施設が多数集まる
標高:旧鉱区―約850〜900m 新鉱区―約540〜690m
訪問:2018年8
月(新鉱区)・2018年12月(旧鉱区)

 

 大字小川山の西部から南西部。旧鉱区は中の川の上流部(佐々連尾山のほぼ真北)、新鉱区は上小川(銅山(どうざん)川支流)の上流部にある。主に銅を産出した。
 市史によると、主な沿革は以下のとおり。

 元禄2(1689)  開山と伝わる(旧佐々連坑口)
 明治期  数人の手に渡りながら経営される
 大正7  岩城商会の経営となり、この年岩城鉱業株式会社設立。金砂ひ・金立ひ(※)を発見し、経営の基礎を築く
 昭和14  住友鉱業の経営となる
 昭和17  住友鉱業の子会社として、佐々連鉱山株式会社設立
 昭和25  別子鉱業株式会社佐々連鉱業所となる(のち住友金属鉱山株式会社佐々連鉱業所)。戦中の無理な増産により鉱山は荒廃したが、同年より新体制で復興に着手。選鉱場の整備・索道の復旧等に取り組む(〜27年)
 選鉱120t/日
 昭和27  第二次復興に着手(〜29年)。新ひ(※1)発見
 選鉱300t/日
 昭和28  金泉ひ(※1)発見
 昭和30  拡張業務に着手(〜31年)
 選鉱600t/日
 昭和32  選鉱800t/日

 昭和34

 金剛ひ(※1)発見
 昭和36  新泉ひ(※1)発見
 昭和41  トラック輸送開始
 昭和54  出鉱中止。全面閉鎖(6月30日)
 閉山式(7月14日)
 鉱山経営の全面廃業(8月31日)

※1 「ひ」は鉱脈を指す語。金へんに通

 全盛期は、戸数1,000戸、人口3,894人を数えた(昭和38年)。
 また以下は当地にあった学校の沿革。なお本文では新旧小学校が同じ年表で扱われ関係性が分かりづらく、この区別は当方の独断による。

(旧鉱区小学校)
 大正14.12  代用の小学校として創設。佐々連尾山の鉱山住宅を教室・教員住宅に代用
 大正15.1.8  開校式
 昭和3.3.31  代用小学校廃止
 昭和3.4  川口尋常高等小学校の分校として設立
 昭和3.5  校舎新築
 昭和4.4  川口尋常高等小学校佐々連分教場設置
 昭和16.4  川口国民学校佐々連分教場となる
 昭和22.4  川口小学校佐々連分教場となる(※2)
 昭和23.4  佐々連小学校の分校となる
 昭和27.10  廃校。本校に統合

※2 当方による補足

(新鉱区小学校)
 昭和21.4  川口尋常高等小学校金砂分教場開校(小山川2216番地)。住宅を改造し仮校舎とする
 昭和16.4  川口国民学校金砂分教場となる
 昭和22.4  川口小学校金砂分教場となる
 昭和23.4  独立。佐々連小学校となる
 昭和24.7  校舎移転
 昭和27.8  校舎新築
 昭和31.3  校舎増築
 昭和53.3.31  閉校

 新鉱区では現在も鉱毒処理のため業務が継続しており、関係者の往来がある。また集落の東部には社宅群の廃墟が残存(写真62-150)。また実地では未確認ではあるが、航空写真を見る限り西部にも僅かに集合住宅が残されているよう。
 なお鉱山街の手前の道路沿いに廃屋が見られるが、往時からの一般的な民家のような造りであり鉱山との関連性は薄そう(写真154-156)。
 旧鉱区では佐々連橋の付近に坑口2箇所、その先で施設や住宅群の跡が段々になって見られた。さらにここから奥、車道の終点付近にも石垣が築かれ建物が集まっていたであろう地域(写真173〜)があり、何かを祀ったの跡(写真180)も確認できた。なお坑口付近から車道終点付近までは、旧道と思われる徒歩道が左岸に通じている。

 


≪新鉱区≫



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「三島」(昭和44.9)を使用したものである

 


(写真1 案内標識や道標。それぞれ「佐々連」の文字が見える〔上小川にて〕)


写真2 事務所方面への入口(以下事業所付近)

写真3 横断歩道

写真4 道路沿いの学校跡

写真5 小学校門柱

写真6 学校前の台座

写真7 学校跡

写真8

写真9

写真10

写真11

写真12

写真13

写真14

写真15

写真16 施設群跡の入口

写真17 写真16付近の道路にて

写真18 階段

写真19 写真18上の遺構

写真20 住宅地跡(以下事業所西側の住宅地、右岸)

写真21

写真22

写真23

写真24

写真25

写真26

写真27

写真28 対岸への階段(渡った先は写真48)

写真29

写真30 何かの施設

写真31

写真32

写真33

写真34

写真35

写真36

写真37

写真38

写真39

写真40

写真41 橋

写真42 住宅地にて(以下事業所西側の住宅地、左岸)

写真43

写真44

写真45

写真46

写真47

写真48

写真49 車道終点付近からの降り口(以下右岸)

写真50 写真49付近から左岸を望む

写真51 何かの跡

写真52 同

写真53 同

写真54 電柱

写真55 橋の跡

写真56 廃屋(以下左岸)

写真57 屋敷跡

写真58 何かの跡

写真59 橋と左岸の建物跡(以下事業所東側の住宅地)

写真60 左岸の何かの建物

写真61 左岸の屋敷跡

写真62

写真63

写真64

写真65

写真66

写真67

写真68

写真69

写真70

写真71

写真72

写真73

写真74

写真75

写真76

写真77

写真78

写真79

写真80

写真81

写真82

写真83

写真84

写真85

写真86

写真87

写真88


写真89


写真90

写真91

写真92

写真93

写真94

写真95

写真96

写真97

写真98

写真99

写真100

写真101

写真102

写真103

写真104

写真105

写真106

写真107 屋上への出口

写真108 屋上の柵

写真109

写真110

写真111

写真112

写真113 橋

写真114

写真115

写真116

写真117

写真118

写真119

写真120

写真121

写真122

写真123

写真124

写真125

写真126

写真127

写真128

写真129

写真130

写真131

写真132

写真133

写真134

写真135

写真136

写真137

写真138

写真139

写真140

写真141

写真142

写真143

写真144

写真145

写真146

写真147

写真148

写真149

写真150

写真151 タンク

写真152 遊具

写真153 同

(写真154 鉱山街手前の廃屋)

(写真155 写真154付近の屋敷跡)

(写真156 写真154付近の遺構)


≪旧鉱区≫



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「三島」(昭和22.2)を使用したものである

 


写真157 佐々連橋

写真158 坑口

写真159 写真158付近から延びる旧道

写真160 坑口(封鎖されている)。左下は排水のための管

写真161 街区にて(以下同)

写真162

写真163

写真164

写真165

写真166

写真167

写真168

写真169 何かの石積み

写真170

写真171 

写真172 旧道

写真173 物置小屋(以下車道終点付近)

写真174 旧道の橋の跡。右方向(下流)に向かって道が通じる

写真175 竈

写真176

写真177 石段のある小平地

写真178 岩の下にある供物

写真179 写真180への石段

写真180 何かを祀った跡

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ