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◆関ノ浦(せきのうら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「仁尾」(昭和22.6)を使用したものである

所在:三豊市詫間町生里(たくまちょうなまり)
地形図:六島/仁尾
形態:海沿い
標高:数m〜約20m
訪問:2019年12月

 

 大字生里の北西部、荘内(しょうない)半島の先端付近の北側にある。室浜(むろはま)集落から西に1q強。
 室浜および仁老浜(にろはま)より山中を抜ける遊歩道(四国のみち)が通じているが、訪問は後者より。当地についての説明看板と三崎(みさき)神社の注連柱がある場所が現地への降り口(写真3)。以下は説明板の全文(本文でのルビを、必要に応じて【 】で記した)。


 関ノ浦

 この道を二百メートルほど下ったところに、関ノ浦と呼ばれる砂浜のきれいな小さな入江があります。
 その昔、鎌倉・室町時代に、沖を通過する船舶から通行税をとっていた所で、山口県の上関【かみのせき】、中関【なかのせき】、下関【しものせき】と共に四大関所と呼ばれるほど重要な関所でした。
 また、明治、大正、昭和の初期までは、漁船が水の補給をしたり潮待ちのための休けい所となってにぎわいました。特に盛漁期には、酒、菓子、日用品などを販売する店が開かれていたといいます。
 きれいな砂浜の近くには、今でも真水が湧き出ている井戸が二つあり、当時をしのばせています。
 時は流れ、現在では三崎神社の夏祭の時以外訪れる人もなくひっそりとしていますが、入江の美しさだけは昔のままです。


 現地では、説明文にある2箇所の井戸を確認(写真5・6)。ただし浜近くの建物跡(上の地図画像で、「浦」の字の真下)は波による浸蝕のためか、ほとんどその痕跡を見ることができない。ここから東の尾根に向かって道らしきものが通じ、尾根を少し越えた場所にも建物跡と思われる平坦地(上の地図画像で、「浦」の字の右下)が確認できた。こちらは平坦地下の斜面にいくらかの遺物が見られる。
 当地訪問後、さらに三崎神社や三崎灯台まで足を延ばした。途中の説明板によると、三崎灯台は正式名称を讃岐岬灯台といい、昭和34年より運用開始とのこと。

 


(写真1 道中の分岐。左は室浜方面より、右は仁老浜方面より通じる)


(写真2 道中の石仏)


写真3 分岐。直進は三崎神社・三崎灯台方面、右は関ノ浦。左の注連柱には「廣嶋縣御調郡吉和漁■中」とある(■は判読できず)


写真4 関ノ浦へ降りる道


写真5 井戸

写真6 井戸

写真7 建物跡?の平坦地

写真8 写真7にて。瓦など

写真9 浜

写真10 浜からの眺め。左は六島(むしま)(岡山県)

写真11 浜の道(2、30mほどで終わる)

写真12 建物跡?の平坦地

写真13 器(写真13付近にて)

写真14 陶器の何か(写真13付近にて)

(写真15 鳥居)

(写真16 境内社。手水鉢には「大天狗」「周旋人 佐〓島 濱本庄左ヱ門 藤原伊平」とある)
※ 〓は木へんに「亜」の最後の一画がないもの。「柳」の異体字

(写真17 参道と山門。山門前に鳥居の残骸が見える)

(写真18 神社拝殿)

(写真19 境内の石祠)

(写真20 境内の日露戦役記念碑)


(写真21 三崎灯台)

 

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