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◆股島(またじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「股島」(昭和26.9)を使用したものである

:観音寺市伊吹町(いぶきちょう)
地形図:伊吹島/股島
形態:?
標高:?
訪問:―

 

 市内伊吹島より、西南西におよそ8q強にある島。
 以下は市誌より、当地に関する記述をまとめたもの。

海岸近くにマテガイが多く獲れたので「まて島」と呼ばれ、のち「また島」と変化し、「股」の字が充てられたと伝わる
『西讃府志』(安政年間完成)には「人家なし」とある。同書および『三豊郡史』(大正期刊行)には産物として箭竹が挙げられており、丸亀藩の矢作りに使われたといわれる
史料より安政5(1858)年に初めて股島分の耕地が記されていることから、開発はこの頃と推測される
昭和12年の古老からの聞き取りでは、明治20年頃伊吹島より移住が始まったとのこと。それ以前でも通い耕作のための出作小屋があった。当時7戸で、うち2戸は伊吹島にも家を持っていた。就学児童は伊吹の親戚に預け、別居生活を送っていた。井戸は3箇所あったが、伊吹同様水に乏しかった。移住当時は半農半漁の生活であったが、のち漁業主産業になった。
明治以来の移住者も次第に島を離れ、最後に残った川端家も昭和40年頃伊吹の生活が主体となり、漁期など半年程度は生活していたが、同50年頃完全に引き揚げて無住となった
のち10年ほど高屋町の森川氏がヤシ類を盛んに栽培していたが、現在(昭和60年刊行)はたまに見回る程度となっている

 また資料『シマダス』によると、戦後の一時期17人の定住者がいたが、昭和37年に無人島化したとのこと。股島漁港は市管理の第1種漁港で、漁船などの避難港として利用されている。

 

 

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