◆樫ノ休場(かしのやすんば)
(二本杉)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「池田」(昭和22.10)を使用したものである
所在:まんのう町塩入(しおいり)(あるいは徳島県三好市三野町太刀野山(みのちょうたちのやま)?)
地形図:内田/池田
形態:鞍部付近に家屋が少数集まる
標高:約850m(峠)
訪問:2019年1月
大字塩入の南部(大字太刀野山の北西部)、香川県仲南町【現・まんのう町】と徳島県三野町【現・三好市】の境界となる稜線上にある。
現在は林道樫ノ休場線が通過し、車輛での訪問が容易。鞍部付近には建物があったような跡は確認できないが、多少広くなっている路面がその跡地だろうか。以下は現地にある「樫ノ休場、二本杉」と題した解説板(写真4)の文章。
猪の鼻街道が開通するまで、阿讃両国の従来(表記ママ)は山越えルートがほとんどで、ふもとの芝生からこの峠に至る樫の休場線は、人馬交通の要路だった。近在で生産された煙草、木炭、肥料の搬送や借耕牛の通行も盛んで、小さいながら集落も散在しており、うどん茶屋も二軒あったという。二本杉(六本が二本に重なって見える)は讃岐平野から遠望できるため、牛を貸す人も借りる人も阿波路を目指す格好の目印にしたという。
茶屋は徳島・香川どちらに所在していたかは不明だが、訪問時は徳島側にあるという先入観があったため、林道周辺や峠付近を探索するのみにとどまってしまった。香川側をまったく調べなかったことが悔やまれる。
仲南町誌によると、盛んであった往来も明治末期の東山(ひがしやま)峠道、大正3年の真鈴(ますず)峠道、昭和4年の鉄道(土讃線)の開通により減少。2軒のうどん茶屋も、林田氏は大正初期に、上村氏は昭和4年にこの地を去り、以来無住となったという。終戦後も木炭の運搬や貸耕牛の往来は見られたが、自動車の普及によりこの峠を通る人はほとんどいなくなってしまった。また昭和30年頃国有林の伐採に伴い二本杉も伐採される計画であったが、塩入住民の再三の請願によりこれを免れたという。
なお読みは三好町史のルビに拠った。
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